福島泰樹さんに聞く
--短歌とは「時間という万巻のフィルム」を巻き戻し炙り出す現像装置-
(2021年「熾」4月号掲載)

                     斉藤光悦


(斉藤)お会いできて光栄です。私は加藤克巳門下ですが、最初に読んだ現代歌人の歌集は克巳やその直系歌人たちの歌集ではなく、福島さんの『中也断唱』(一九八三年刊)でした。大学を卒業して社会人になりたてのころです。もちろん啄木や牧水なんかは読んでいましたが、現代歌人という範疇では、初めてまともに向き合った歌人は福島泰樹その人でした。光栄と申し上げたのはそのような意味合いも込めてのことでして、念願かなったの感があります。しかも、田舎出の私にとっては憧れの地とも言える東京の下町、下谷のお寺でお話を聞けるというのは嬉しい限りです。先日は短歌絶叫コンサートも拝見しました。陰翳の濃い情念の発露のような、それでいてエネルギッシュなパフォーマンスに、本当に久々に心顫えるような体験をいたしました。
 まずは、二〇二〇年の十二月五日に刊行された書き下ろし評論集『「恋と革命」の死 岸上大作』についてお話を聞かせて下さい。私の中での岸上という歌人は、福島さんが彼をうたった歌「レインコートを顔に被って死んでゆくズボンの裾の泥も拭わず」にあるように自死と切り離すことができません。
(福島)十二月五日は、安保闘争を戦い、二十一歳で純潔のまま自死した学生歌人、岸上の没後六十年なのです。この日に間に合わせるために一カ月で三五〇枚を書き上げました。学生時代、遺歌集『意志表示』に衝撃を受け、ステージ活動を開始してからは四十数年にわたり、その無様な無念を「六月の雨」、「ぼくのためのノート」として絶叫し続けてきました。これまでも岸上論を何遍か綴っていますが、自分にとって岸上大作論の集大成という思いは強いものがあります。今回、中学、高校時代の日記という新たな資料にも触れることができて、幼いころに味わったたくさんの苦悩、それと同時に、戦後という時代の中で父親のいない子供たちがどういうふうにものを考え、成長していったか、それが岸上の中にすべて凝縮されてあるという思いがありますね。
(斉藤)最初から最後までぐいぐい引き込まれるように読みました。序文で「岸上大作よ、君を書くことは、『戦後』という時代を、社会や歴史を視座に、常に民衆の側から苦悩し、学習を怠ることなく戦い成長した、日本の最も誠実な青年の精神史を書くことにほかならない」とお書きになっていますが、まさしくこの本を読みながら、福島泰樹を媒介にして、岸上大作という人生にリアルに立ち会っているような感じを受けつつ、最後の自死の場面では涙ながらにページをくくっていました。
(福島)そうでしたか。おそれいります。
(斉藤)絶筆となった「ぼくのためのノート」も収載されていますし、もちろん『意志表示』抄も掲載されていますから、ぜひ、現代の学生たちにも読んでもらいたいものです。私の娘は、偶然にも國學院大學の三年生で二十一歳です。岸上の後輩なので読むように勧めてみようと思っています。
(福島)絶筆「ぼくのためのノート」の直筆原稿が姫路文学館に陳列されているのですが、二百字詰め原稿用紙五十余枚の最後の一字一句に至るまで乱れなく、升目に収まっているのです。冬の雨降る夜、火の気のない部屋で、しかも服毒兼縊死を前に書いたものとはとても思えない。ものすごく冷静なのです。この絶筆を書くことによって自分の歌が残るという確信があったんだと思います。
(斉藤)福島さんの単行歌集は三十二冊ありますが、いちばん新しい歌集は二〇一九年に出された『亡友』です。松平修文さんはじめ亡くなった人々を哀悼する挽歌を多く収めています。跋文に「生者への語りかけが、死者への呼びかけとなって、はや日は久しい」と書いてあるこの『亡友』もそうなのですが、福島さんは死者を歌い続けています。家族をはじめ生きている人々をあまり歌いませんね。
(福島)生きている連中を歌うように死者を歌っているんですね。つまり、死者は死んではいない、生きているから。なまめかしく生きていますよ。そして喪失感というのはやはり歌にいちばん近い感情だと思うんですよ。挽歌ですよね。だから万葉から連綿と挽歌は続いている。それと、死んで初めてその人間の総体というのがわかってくるということもありますね。
(斉藤)松平修文さんなど亡友を歌った歌をいくつか挙げさせていただきます。

君が植えてくれた桜が育つ頃、此の世に集い花見をしよう
金色(こんじき)の霧につつまれいるのだろう彼の世があればきっとそうだろう
歴史とは創りゆくこと然(さ)に非ず消えゆくことと存じ候
感傷なくしてなんの人倫、愛鷹の山村にいて君を想うも
風景は消えそれを眺めた人も消え炙り出されてまた消えてゆく

 そして跋には、次のような珠玉の如き文章が綴られています。「友とは記憶の共有者であり、友の死は、友の記憶に生きている私の死に他ならない」。そして、「人体とはまさに、時間という万巻のフィルムを内蔵した記憶装置。関東大震災、空襲、ヒロシマ、ナガサキの記憶を風化させてはならない。短歌とは、「時間という万巻のフィルム」を巻き戻し、その一齣一齣を鮮烈に炙り出す現像装置に他ならない」。この短歌とは記憶装置であるということや、死者、亡友を歌い続けていること、そして福島さんの驚くべき記憶力。これらは関連しているように私には思えますが、そのへんはいかがですか。
(福島)記憶力がいいんじゃないんだ。歌を作るから、記憶に焼き付くんですね。それからあと、鮮烈な記憶がぼくらの時代にはたくさんあったんです。忘れられない記憶がね。それだけの話ですよ。子供の頃の風景というのはね、すごく空が青くて、燦々と陽が降り注いでいた。いま考えてみると、尋常な時間じゃなかったんですね、戦後のあの時代は。ラジオをかければ「尋ね人をお知らせします」って。それで戦争で別れた者どうしがラジオを通して、出会ったりなんかするわけ。子供の頃から身の回りにいつでも死と別れというのがあったんです。しかも家が寺であったからね。焼け跡から、なにもないところから記憶が始まるんですよ。だから強烈に記憶に残って、忘れられない。
(斉藤)小さい時の強烈な体験にもとづく記憶だけではなく、成長してからの様々な人とのいろんな場面も細かく覚えていらっしゃる。
(福島)そうですね。ぼくは人間関係をすごく大事にしているんですよ。だから、忘れられないですね。男も女も、出会って、そして別れていった人たちが。
(斉藤)たとえば立松和平さんなど散文に書かれた人物たちの描写は、まるで小説のようにディテールが鮮明です。優れた記憶力あればこそ、と私は思って読んでいます。
(福島)それは、その都度、文章を書いていたからだね。立松もおれのことを書いたし、その文章を通してその場面が刻印されるというかね。書いていないと、すべて褪せていきますよね。短歌というのはそういう記憶装置であり、現像装置なんですよ。ぼくは一首の背景には千枚の散文が横たわっている、という持論があります。大げさな言い方かもしれないけど、それくらいの思いで一首をつくっ
ています。
(斉藤)この並外れた執筆エネルギーを二十代から現在まで持続していらっしゃる。このエネルギーの源泉は何でしょうか。
(福島)それは口惜しいからです。本を出すたびに、読んでもらいたい人がいなくなっていることに気づく。これはひどく淋しい。この地上に突然、空席ができてしまうことの空恐ろしさ、そして、頓挫した彼らの志を思うと、口惜しくってならないから書いている。哭きたくってならないから、絶叫している。どこかで書きましたが、そういうことです。
(斉藤)もうひとつ、個人的にどうしても聞きたいことがあります。それは、『中也断唱』のような、たとえば中原中也という詩人になりきり短歌をうたう、あるいは、中也の詩を短歌に翻訳する、こういう創作活動の本質というか意味についてです。この質問とたぶん関連していると思いますが、『亡友』の中にこんな歌があります。

芸術やその運動の核として燦然として短歌はありき
「わたくし」を世界の唯中に解き放て一人称を逆手にとれよ

 そして、別の歌集の跋ではこのように述べられています。「呼びかけ・語りかけに最も適した一人称詩型短歌の優位性を、むしろ私は誇らしく主張したい」、「歌謡として歌われてそ詩歌は、溌剌とした生命を回復するのではないか」。
(福島)短歌は一人称詩型です。自分自身のことだけを歌っていたら、とくに寺の坊主である自分には、そう自由には歌えないし、限界もある。しかし、中也になりきればおれは自由になれるんです。つまり、中也になりきることで泰子を歌うことができる。おれの中に泰子がどれだけいるかわからない。それを彼の言葉で、要するに彼の時代と彼の生き方とそれら全部揃ったところに、おれの魂を注ぎ込むんだ。そうじゃなかったら、書きはしない。おれを書いているんです。中也だけでなく、寺山修司や萩原朔太郎、宮沢賢治、ほかにも様々な人になりきって歌うということ。こういうことを始めたのはぼくが最初ですね。そして、それをやりつづけてきたんです。
(斉藤)立松さんが「私小説的な伝統の短歌から、ほとんど未踏の淵に立っている」とか「中也の詩を借りて、視点の移動と拡大を徐じょにはかっていく」などと評しています。そして呼びかけが非常に多いことを指摘して永田和宏さんが「おのれ内部のほんの微小な、もしくは微妙な精神の翳りばかりが拡大され、つぶやきの泡となって放出されているような現在の短歌界にあって、このような熱い呼びかけがまだ可能であるということを貴重に思いたい」と時評で書いていますね。
 ところで、中也、朔太郎、賢治などとくれば、たまたま私が岩手県出身であることから、石川啄木を歌って歌集にしてほしいと思ってしまいますが、それは期待できますか。
(福島)ぼくは、日本でひとり詩歌人を挙げろと言われれば、全ての詩歌人を含めて啄木を挙げます。日本には偉大な詩人も高名な詩人もたくさんいますが、時代というものを背負いこんで、その中で使命感を持って書いた詩人は啄木以外にいない。啄木を超える人はいませんね。実は啄木を歌う歌集を出そうと思っています。もう歌もずいぶんたまっています。啄木は三行書きでしたが、ぼくはその歌集を四行書きでやろうと思っている。一ページに四行書きの歌一首。歌集名はローマ字で『TAKUBOKU』にしようと思っています。
(斉藤)早く『TAKUBOKU』を読みたいと思います。出版されたら私の書棚に、『中也断唱』『賢治幻想』『朔太郎、感傷』と並べます。長時間のインタビューにおつきあいくださって、ありがとうございます。限られた誌面ではとてもすべてを収めきれませんが、私個人にとって今後の作歌の糧になるお話をたくさんうかがえました。かけがえのない時間として、ずっと忘れられないと思います。(了)
(了)

inserted by FC2 system