「群青の宙」 斉藤光悦 歌集 PDFはこちら


1992年5月29日 雁書館より発行
 序文・加藤克巳(個性叢書176篇)


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バイバイ青春

俺の歌はいつか君の目にふれることを夢み顫(ふる)える感傷なのさ

「飲んべえが一番お金かかるのよ」飲み屋の娘君は語りき

双子ゆえ二つの心をもつ姉妹そのいもうとと恋に陥ちたり

ボディコンの似合うスリムな肢体(からだ)よりカーディガンの君のおとなしき肩

晩春の西空をわたりゆく鳥よ そして夕陽に照り映える頬よ

一分を針がガタンと進めゆく終電近い喫茶マイアミ

タクシーを右腕で呼び左手で YES・NOをさぐる君の指から

目を閉じた君の唇むさぼりぬ 声ごと心ごと俺のものになれ

血潮透かし肌もゆるひと 腕を組むことさえためらう乙女なりしが

抱きしめられ「光悦さん」と叫ばれて次第に重いこころとからだ

常夜灯がほのかに照らす寝顔を見て俺の女と思ってはいた

二つのものは一つになれない永遠に だからそれだけのこと セックス

子宮へと俺をみちびく肉体をもてあましている認識がある

結ばれた悦びは今きみがいれるジャスミンティーの香りのなかに

君はなぜ後悔するの その髪をやさしく梳(けず)る俺をみつめて

その朝君は 母の平手をあびて泣く俺の部屋の 悲しい彫刻だった

叩かれて母に叩かれ咽び泣く君はそれでも帰るべし母へ

傷つけたことに傷つく二人でいよう たとえば俺はもう強引じゃない

つなぎ止める力はないと知りながら繰り出す言葉に自滅してゆく

〈終わりじゃない。まだ終わってない、追いかけろ〉されどバラバラ意志とからだは

まっすぐに進んで次第に遠ざかれその角で不意に消えたりせずに

「俺たち」を「私たちは」と言い換えて思ってたこと知るべくもなく

おたがいに過去は知らざり影芝居のごとく出会いて別れゆきにし

窓に立つ人影にベージュのカーディガン着せてあげたいぬくもりにふれて

高層ビルのレッドランプの点滅とともにつぶやく さよなら、さよなら

忘れない 腕のしびれで目覚めた朝おもむろに開いた君のまぶたを

あなたには愛などなかった、ただ俺が子供だったと言えば、それだけ

沈み終えた後の夕日の行方思う そして 君を取り戻そうと

ダイヤルをたった7回まわすだけ たった7回いままでのように

声を忘れ電話番号も思い出せずみんなみんな風化するのか

燈の中のかすみ草に心うずめしばらくは君との悲恋に酔わん

君の名を連呼する夢 かゥなしくとも まぶた開かずこのままでいたい

忘れずにかすみ草を飾る喫茶店(さてん)の前 あなたが去っていった五月に

うす蒼いたそがれの空気を呼吸するちょっとさびしくやがてかなしく

君が通った高校へつづく道の辺の珈琲店の窓に凭(もた)れて

あの日の君いまの俺なら愛せるか 年を食う時間だけが平等なんて

映像と言葉のいずれ思い出は 芳子は俺から去っていったが

On The Rock 飲みたい酒じゃないけれど きょう夜更けまでメモリーのため

思いきり泣きたい今は ユーミンの「海を見ていた午後」をさがして

発車ベル鳴り響く始発の駅構内(コンコース) 君をさがしてしまうよ いまも

君がいれば何もいらないそんなこと思った日々を惜しむ六月

十二月 三年経てど嫁がざる君のうわさを抱きしめており

待ちつづけた邂逅が今そこにある されど追えない後ろ姿を

ただこうして夕暮れを歩く春なれば君の吐息の忘れがたさに

かくのごと青春は過ぎぬ この、いくら擦っても点かない百円ライター

手のひらのぬくもりが君でない女から伝わる バイバイ青春


存   在

その世界との差は紙一重。けれど、もう一瞬たりとて、僕の時間は前にも後ろにも、ずれてはくれない

一万分の一秒ずれた世界から君との家庭の 音 が き こ え た

ひざを抱きモーツァルト聞く日曜の夕べひとりのナルシスわれは

星、それは 幾万年の時間の果てにわが瞳(め)に宿りし一点の光

ノンセックスの秋は来にけり ただ時間(とき)をやり過ごしいる まぎれなく一人

傷だらけのレコードさっきから今も堂々めぐり「名残り雪」を

皮ジャン/ジッポライター/サングラス/砂浜にひとり/風を待ちつつ

夢の中に、影はない

光あるところ必ずつきまとう 影 それだから俺は翔べない

枯山水 白砂にしるき影よりもはかなきものか 或る午後の私

既視感。あらゆることはただ繰り返されているだけなのか。

ボヘミアのガラス細工に曇り日の光射しおり午後の deja vu

アルビノーニ・アダージョだけをきょうは聴く しだいに暮れる窓がかなしい

夏が逝くかなしさと秋が来るさびしさを比べおり午後の喫茶店(さてん)の窓に

情欲の夢がとつぜん中断し〈きょう〉となりゆく私の日付

きりもなく落ちぶれてゆく夢を見た その朝のアンニュイ たばこのけむり

逆回しのビデオのように誕生のときまで過去をさかのぼれたなら

現実と思っていた夢さめてから空き缶がやがて見えてくるまで

「光が壊れて色となる」 誰かに聞いた 謐かな夕焼けの海で

雨がふっている夜 ひとりじゃないさ みんながこの音 きいている

橋をゆく倒立のひとかげ映す川 暮れ残る空の色をにじませ

てらいなく気負いもなくうらぶれたい 「哀しみする」と中也は言った

目覚めるときのうの酒の自己嫌悪 記憶たどればブラックホール

夜も更けて「腹が減った」とつぶやくと湯沸かしに立つもうひとりの我

「私」とは何かと問いつつまどろめばバベルの塔を夢で見れるよ

吹きだまり濡れた歩道にはりついた桜はなびら 時は戻らず

君のいない春と思いぬ夕方の白蓮の花 現(うつつ) はた 夢

傷口ににじみわく血の鮮やかさ 静かなり 夏の落日に似て

雨雲を押し退けにび色広がりゆく空に煙突 「桃の湯」あたり

さみしさの線香花火 セーターの静電気が鳴る ぱちぱち、ぱちぱち

何事もなく日々(にちにち)は過ぎゆけどさみしさがあり退屈はせぬ

暖色の光あふれる商店街を通り抜けにし よそもの俺は

夢の中のたったひとつの現実か ペゴニアを売る花屋 二十五時

「思想」という言葉にあこがれ傷つきぬ つい去年まで少年だった俺

印象派モネの〈日の出〉のキャンバスの影となりたし小舟に乗りて

頬をさす風ふきまくる寒の空 〈虚無〉という文字にふさわしき青

朝刊のぶ厚さ重さ世の中の昨日(きのう)はこんなに確かであるのか

深酒のねむりたちまち破られぬ 胃は激痛す真っ暗闇を

ひとりごと二、三と「焼き肉定食」とたったそれだけ本日のことば 

惣菜屋も酒屋も「毎度あり」という馴染み客でもない俺の背に

やがて夏が来るというのに紫陽花よ何故すすり泣く、なぜ雨が好き

夕光が頬にかがやく面影を探していたり晩夏の埠頭

感傷は想像であるそれゆえにニヒリスト我は茶番にすぎぬ

ここは見知らぬ通りである 屈みこめば空高く雑踏が逃げる

声を出しさびしいのかと聞いてみる 「うん」と言ったら俺は負け犬

サビシサが抽象から物質になり体外へ飛び出すよな秋の風だ

木枯しにわがサビシサは拉致されぬ灰色の歩道(みち)にわれを残して

午前零時すぎのコンビニエンスストア我と彼女と彼の立ち読み

めっきが剥がれてキラリと落ちた見えなくなるまで風に舞った

看板の文字のひとつが欠けているその存在感と俺との関係

三十歳はもはや秒読み

強がりはよしちまいなもうそろそろ まんざらじゃないさ喜劇役者も

目覚めれば真闇の中に浮かんでいるわれは一個の脳髄となり

蜃気楼の浜と呼ばれしこの湖畔に二日、三日と通いては来ぬ

夕光の長い旅路よ 校庭の石ころ一つの影となるまで

街灯が白々にじむ雨のみち雨は降りたり追憶のごとく

空中へ右手さしあげ力かぎり伸ばそうとする夢の暗示よ

走っても走っても前に進まない夢をしばらく見ないさびしさ

聖典を携え夕の街をゆく異邦のひとの背の思想よ

もの思う日曜の夜のすぎゆきを暴走族の遠い騒音

重力のままに 砂(いさご) は落ちゆけり時間とはかくも確かなものと

ぐでんぐでんに酔いてひとつの思想あり 串刺しにせよそのまろき林檎

たったいま俺を通り抜けていった風が揺らしている赤い花

ふるさとに帰りたいような気がしてる朝からずっと掌が冷たい

ピーターパン症候群(シンドローム)の俺だから甥が生まれた六月の欝

ちっぽけにおさまってゆく生活の間(あい)にポカンと浮かぶ夏雲

過去からの声とも思う 夕光(ゆうかげ)は葉むらの間(あい)より届きとどかず

「斉藤」という姓の不可欠 婿入りの縁談ありし日の自己愛 

恋するなら追いつ追われつ Give & Take さらばあなたよ、そしてピエロよ

死と生を観念としてもてあそぶわれは父母の子まだ見ぬ子の父

ゆるやかな坂のぼりつめ振り返れば「蜘蛛の糸」のごと人は群がる

夕暮の霧雨に濡れ日曜の街へ向かへりパチンコのため

冬の朝きらめく光にめまいして立ちつくしたり 存在って な に

右ひだり交互に回る乾燥機その催眠術に揺らぐうつそみ

盆の帰省を終えて東京へ

新幹線車中にひしめく家族づれ 独身の思想は尖りてゆくか

父が俺の父となりにし年齢を越えて二度目の帰省の車中

きのうまでふるさとにいた名残りゆえ湯にしみる靴ずれをいとしむ

組みかけの鉄骨の間に落日はぎらつけり夏を葬(ほうむ)るごとく

蔓薔薇におおわれた門柱の陰に幼女は立ちたりわれを見つめて

この春にため息がすこし多いわけを思案している満員電車

死に至る病と思えば眠りに就く一夜ひとよの君恋しさ

闇に目を見張り鼓動の急迫を生の最期とただに聞きおり

道化師と牧師が並んで歩いてます 俺はその影を追います 春

Gパンはあしたになれば乾くでしょう この夜の風にGパンだけが

土砂降りにさす傘の重さは、捨てられない過去の重さに、ちょっと似ている

オレンジのランプ小さし 夢さめてわが部屋内の旧態依然

翳る窓鳴き交わす鳥 想い見る夕焼けの激しさ 無音のTV

はたちのころ十七、八の少女なりき セブン・イレブン レジのフほほえみ

またひとつ悲しみ見つけた見つかったブロック塀に空き缶一本

空地辺に揺れかわす花たんぽぽの夕暮れは pianissimo(ピアニシモ) の弦楽

シャボン玉のなか少年の僕がいる デカダンしようよ 夕明かりだ、ほら

真っ白な雲 お前だけが動かない ぐるぐる回る都市の真上で

真っ白な積雲の峰に天球は突き刺され青い血液を流す

地下鉄から階段(きざ)昇りゆく外光が長方形をなす出口まで

地下鉄から階段昇りつめ、めまいせり 夏真昼、街は 時を刻まず

かげろふの交差点の信号がいつからかずっと赤だった夏

たたきつける雨の飛沫に原色のネオンの光 淫らな追憶

漠 然 た る 不 安 などと気障を言いし彼のひとの魂(たま) 薄暮の電柱

銀杏木の 裸の枝の 切っ先に 貫かれた月。 うすっぺらな、丸

散り果てた銀杏並木にまぼろしのトンネルが口を開けて待つもの

物理的均衡ゆえに静止せる750CC(ナナハン)の傾き 午後の眩み

A群青の宙に浮かべる方形の窓の燈 そして 歩道橋のわれ

不知火を見たことはなし。さりながら、群青の宙に浮かぶ燈の列

日常の風景として過ぎゆきし信号の青がひと日はなれず

欄干に映える晩夏の光なりき「徒労の情熱」ふと口ずさむ

ひるがえりながら街灯てりかえし銀杏葉は落ちゆけり雨中を

〈こんなはずじゃなかった。俺は〉口癖となりし言葉よ 梅雨明けにけり

道端に小高くかき寄せられた雪 〈蹴飛ばしちまえ、東京もろとも〉

数え切れぬ忘れものわが胸にあり 冬の並木を四谷へ向かう

人恋しいときには電話かけられぬ天邪鬼なりつくづくわれは

サヨナラもサラバも既に言い飽きて言葉探せり感傷のために

吹きだまりの花びら風に舞い上がり舞い上がり還る葉桜の枝に

平凡な物語ばかり綴り来ぬ 東京 TOKYO 誰の東京

渋谷から阿佐ヶ谷までの終バスに揺られおり母の胎内おもいて

こどもらが鬼ごっこするたそがれの公園にさまよいきたる紋白蝶(もんしろ)

右左に駆け抜けてゆく自動車のテールランプの赤い残像

駆け抜けた自動車(くるま)のライトに照らされて一瞬に顕(た)ち、消えたわが影

踏切の女のスカートさゆらぎて最終らしき電車過ぎたり

あさみどりに鞠の形を整えて梅雨(つゆ)待つ花に寄せるわが哀愁

忘却という言葉ひらめきたまゆらを紫陽花の下の土に眠れり

夕映えの水彩しずみゆくところ影絵のビルに灯火まばら

化石して信号を待つ人人へ近づいてゆく爪先ふたつ

歩道橋の階段は青いあまりにも蒼い空へわれを誘う傾き

傘さして夕暮れのまち顔のないひとひとひととすれちがいゆく

もういまは傘なんていらないちっぽけななげきもみんな どしゃぶりの雨

焼けただれる夕空めがけひたすらに高速道を走ったあの日

凪ぎわたる海原を落日の光しだいに太く我に達せり

一日なら浮浪の暮らしも洒落ですむ 侮蔑・憐憫 されど憧憬


サラリーマン

蟻の巣の断面と思いお向かいのオフィスビルをながめていたり

アスファルトの道に靴音ひびかせてわれサラリーマンのきょうが始まる

近づきも離れもせずに追ってくるメトロノームのごとし靴音

次々と繰り出されゆく爪先をいかにしてわれの意志と思わん

1m上に他人が寝て起きるアパートに十年 馬鹿らしきかな

東京で十度目の春を告げる風になぶられているネクタイとわれと

生かじりの思想を肴に飲んだくれ給与生活さげすみし頃よ

喧噪を離れ人なき会議室にデューダのことなど考えてをり

人妻となりにしひとをそれゆえに愛したし淡く Office の夏

長く短く金色の光放射して落日ビルの輪郭にかかれり

真っ黒き影となりたる高層のビルに幾万人の勤労男女

ビル上から俺を見おろすあの彼に憎さがふいにこみあげてくる

地下鉄の車窓に映る頬杖の男は翼の折れた俺かも

玄関の扉あければ街の音その混沌にまぎれゆく夕

足速に過ぎてゆく無言の人波の頭上にながれるエリック・サティ

オフィス街に思いがけない露地があり出所不明のこどもらの薄暮

最終に乗り遅れたり一銭も持たぬゆえ二十代最後の野宿

ガード下公園のベンチに寝ころびて揺れぬブランコみつめていたり

四人がけのブランコ押せば水底をあるいは記憶を揺れるごとしも

まどろめど眠りにつけず時折りに開く眼にブランコはあり

ひとつだけ夢をみましたそれはやはりブランコがあり女がひとり

忘れものは傘だけじゃない 走りだした終電が明るい 傘だけじゃない


下町セレナーデ

ギヤマンの酒そそサぎこめば胃の腑から下町抒情の泣けとごとくに

囲われの女がひさぐ小料理屋あわれみを肴にギヤマンに酒

人形師の町なりき 遊廓なりけり この町に生れし妾の娘の微笑

雷鳴のしばらく後のまばら雨せつなかりしか暖簾みつめて

店たたむ挨拶を貼り紙に残し去りゆきにけり「一茶」の女将は

黒板の木造二階「鳥正」で酔いつぶれたし 夜よ更けゆけ

最終をやりすごして地下鉄のベンチに寝ころぶ カ・エ・リ・タ・ク・ナ・イ

いにしへの遊里のあはれにほひたつ夕立のあとの露地にまよへり

江戸の世の芝居の町のたった一つの名残りの明治座きょう千秋楽

おさなごの露地の花火の歓声にわれ幼少の記憶顕ち来ぬ

エロスなき大衆酒場の片隅で同僚(なかま)とやがてほろほろになる

名にし負う下町の地(つち)掘り返すクレーンの爪のスローモション

寿司にぎる老婆が話す亡き亭主 いなせだったよ、あのひとの味なんだ

黒髪にふわと止まれり雪痰ミとひら信号待ちの頭(ず)の群れのなか

いつまでも揺れて消えない航跡を逝く夏の水先案内として

この橋の下流に架かる橋の上に小さな人影きょうも昨日も

雨風にさらされたポスターに凭れ ジッポの匂い たとえばデカダン

砕かれた旧家の塀の細片をひとつ拾いぬ影と一緒に

頭(ず)のどこかでサティのピアノなりやまず モノクロームに暮れる深川

外灯と看板と月のためならんわが影三つ露地をゆくなり

forget-me-not 浅草人形町深川月島 わが歌姫よ

冬の日を照り返してや洗濯物 そんな俳句がお似合いの町

累々たる黒き木っ端の上に乗る解体屋クレーンに夕日烈しき

雑草の生い茂る空地がやけに広くて真ん丸夕日に泣き笑いせり

思い出のように空き地のコスモスが揺れていました夕方でした

夕立のあがった露地の向こうから歩み来たりぬ雲を抽く影

喫茶店「ラヴィ」のママの口癖は「彼女ができたら連れておいでよ」

博多訛りの女将の和服髪結いと唐焼の皿きぬごし豆腐

居酒屋の店先小鳥に水を遣る少女のTシャツ・ブルージーンズ

電飾の看板スナック・エレガンスわが歌姫よ『サン・トワ・マミー』

最終に遅れたのは故意かも知れない ひさぎ終えた町の生活の灯よ

霧雨の音を聞かんと耳を澄まし風のまにまの夜陰みており

「大正の味」と書かれた駄菓子屋のビン入りの煎餅買わぬのもよし

地下鉄半蔵門線、水天宮前駅竣工

この町に地下から昇ってくるなんて歴史の冒涜もしくは無粋

虹が弧を描くのはなぜ 人形町すっぽり包む虹のたまゆら

その橋の向こうは深川わけもなく心ひかれる雨おちてきて

真っ白い雲 蝉の声 ビールケース 下町露地の葉の影ゆれた

真っ白い雲を背にして歩み来る薔薇の日傘とロングスカート

浅草の露地でアジサイとおりすぎ肩ごしに薔薇一輪と出会った

熟れきった果実のごとき群青の空を背に夏の宵の浅草

夢のなかわれは竹久夢二となりお葉のような女さがしぬ

露地裏にたちこめる霧ほおずきの朱(あか)をみつめし少女去りたり


芳   子

一九八五年

キスもまだ知らない君のくちびるに吸われていったアイス・ミルク・ティー

抱きたいさ、本音を言えばたまらなく。抱かれたい心を知らない君であるから

前の恋を忘れられない俺ゆえに君ゆえにふたり兄妹のごとく

イミテーションの恋を遊んで半年は過ぎたり肉体知らないままに

同年十二月、雨、新宿駅西口

柄にもない大声で「何故」と問い詰めぬ 「ごめんね」とだけ言う君は誰

立ちどまりも振り返りもせず雑踏に紛れゆくなり改札の彼方

戻らない恋とは信じられなくて何も話せぬ電話いくたび

いつのまにかダイヤルまわすこの指が俺の意志でないのが悲しい

往き交へる自動車(くるま)の風に煽られて揺れるジッポの炎と 未 練

雨降りの夕暮を好きになった理由(わけ)を問い重ねつつ春を迎えぬ

一九八七年十二月、交叉点

なつかしい声と気がつくまでのほんのすこしの時間に駆けめぐったもの

その傘にかすかな記憶のこれりと二年たちて君はなぜか饒舌

誘われた茶房の窓にうつる顔 あの日のままと思いたけれど

「もう一度」と思う心をしのばせて見つめておりぬその細き指先

冷えきった珈琲と吸殻五本ほど ふたり向き合うテーブルの上

駅 改札

ふりかえり手を振る君を改札の向こうにして立ち去りぬべし

一九九〇年十一月三十一日

小さき庭でおさな子らに囲まれて息絶えしという 保母なりき君

享年という言葉こそ悲しけれ二十九のきみ帰りたまわず

接吻(キス)のたびふれあった鼻は白布の頂きをなしただ物体なのか

冷たい、真白い頬をなでながら 今、どうしようもなく声が聞きたい

しろたへの肌ひたすらに抱きしめし われの不浄に穢れたまふな

うつせみの頬より失せてゆく血の色はるかなる既視感この病室に

泣けぬのは何故かとおのれ責めながら君の告別式を見まもる

逝きてはやひとつきほどはたちぬらん 夏はきざせり君あらなくに

思い出の京を訪ねん鴨川に汝が歩まする写真いだきて

夏服のスナップ残し去りゆけりヂギタリス咲く神戸異人館

地平線に茜ひとすじ暮れのこればたち切りがたし君想うこと

留守電のテープに残る声だけを忘れがたみに 岡 崎 芳 子

感傷にふける日々なれどさびしからず わが心なりすでに芳子よ

一九九一年<P> 恋々と想ひ来し歳月 いざ、さらば われ三十になりゆかんとす

前の秋思ったことのありったけが返りきて僕は夕日が悲しい

神様とは縁遠きわれの祈りなる逗子海岸のレンブラント光線

ヴァイオリンのG線にやどる祈りの音 過去はひそかに昏れゆくものを


歌  姫

旅人のごとくスナック訪れてカラオケの歌姫くどく我かも

浪漫派も無頼派も夢と気づきしころ兄のようと慕われにけり

優美子というオキナワの少女(こ)の純潔は永遠であれ覚めるなよ夢

少女であり女でもある魔性秘めバラードが好きとささやきし唇(くち)

曲名は思い出せない。だから、ほらっ、あの歌を歌って。俺の歌姫

震いつくほどの美人じゃないけれど言問橋の風に吹かれて

眼尻ゆこぼるる泪とめどなく他の誰かを夢にみるひと

一本のたばこ交互に喫いながら朝陽だらけの部屋にまどろむ

ビル風に煽られるジッポライターの炎を見入りし瞳わすれじ

雨降りの夕暮を好きになったわけを問い重ねつつ夏を迎えぬ

水割の色とグラスにふれる唇その赤だけが色をなす夢

理絵と知恵ふたりの歌姫奪り合ってデュエットばかり零時過ぎれば

失われた時を求めて歌う歌このまま二人で墜ちてゆこうよ

青春の焦慮も失せて安穏をむさぼるフヌケを愛すのか 理絵

おぼつかない日本語を愛せり上海の留学生の白き二の腕

酔うままに結んだ手と手たわむれのいつかさめゆく慕情と知れど

もうすこしだけ思い出と踊らせて 最後の曲をあとすこしだけ

店を出ればいま朝焼けぬ 超高層ビルのてっぺん燃えるごとくに

乾きかけた吐瀉物に群がりている烏らのあかつきの 嘴(くちばし)

あかつきの歌舞伎町のビル風に地を這いゆきし紙屑の音

朝もやの帰路は来る人行く人もあらなくにただ沈丁花の香

七十五度壁にもたれておし黙る泣き虫ギターに鈍い朝の陽


レクイエム

一九九一年四月十四日、名古屋の学友加納賢治が三十歳を前にして、逝った。

その年の一月にるり子夫人と挙式をあげてから わずか三月後のことだった。

部屋内(ぬち)に奥ふかくさす春のひかりその中にない友の遺影よ

運命と云う人もあり ああ君は 本当に死んでしまったのか

たましいは神に召されり 美しい言葉さ、だけど信じられない

ほしいまま白菊にそそぐ晩春のひかりをこそ悲しみとして

告別のときは来たれり霊柩を載せて車がゆるゆると発つ

なぜ泣けない 涙を見せたただ一人の友を見送るこの際にいて

暑く長い夢を見ており葬列は平坦な道を港湾に向く

いつかしらどこかでこうして陽にさらされ大切な人を見送ってはいた

君の中に生きていた俺も死んだのだ晩春の名古屋港の夕凪

俺らしく生きてみせるよ月並みな言葉だけれど「君の分まで」

生と死とどれほどの差があるものかあの君さえも死ぬと知りては

飲んだくれ肩組み歩いた駿河台その相棒も死せるというか

三十年を生き急いだ君。言い残した言葉あるなら、わが夢に顕て


さらば、君といたあの夏

すれちがうときの香りは aqua-blue とつぜんに君を愛しオた八月

一枚の風景画から風の音を聴いていたひと 晩夏のあなた

秋の雨に閉ざされている昼下がりラマルチーヌの『瞑想詩集』

雲の間を洩れきて薔薇にさす月光われは美しきひとに逢いたし

放り上げたセブンスターに反射してきらめく月の光――その秋

君といたあの夏に戻りたいなんて 秋日の長い影につぶやく

外は雨 部屋にはジョン・コルトレーン 鳴りだした電話そのままにして

さようなら俺の恋おれの二十代 きょうの朝陽はやけにまぶしい

気障を云うつもりはないけど切なくてこの街そして青春に "Good-bye"

ギター奏者去りし舞台の一脚の椅子に魅いられ たそがれてゆく

思い出にひたりたい ただ、ひたすらに あの駅のホーム 月光のベンチ

さみしさの球体となり夕空をふわふわと飛ぶ私であるか

夢の中のたった一つの現実かペゴニアを売る花屋二十五時

たとえば恋あるいは夢のさなかにものたうちまわる女(ひと)を求めつ

ル・アーブル港の日の出を素描するモネの背中のなにゆえか燦

際限もなく墜ちてゆく夢を見たその朝のアンニュイ 莨 のけむり

もっともな意見拝聴していたり 窓翳りゆく会議室五時

も し そ こ に あなたが以前と同じように座っていたら 檸 檬 は い ら な い

日常として海岸へ電車が発つ チンチンチンの音ほどの秋

あっけなく暮れてしまった夕方の群青の宙にバッハ平均律

あなたへの埋火(うずみび)のような未練だけで二十代後半を生きてしまった

くもり窓を指でなぞれば君の名のかたちの中に雨の街路灯

ほの白い光のベールにつつまれて川岸に立つ夢のあなたは

水のない川のぼりゆけばエメラルドグリーンの湖に難破船の帆

老人が蒼穹を見上げていた午後それとなく搖れていた無神論

夕やみはあなたのうなじにおりてきてそこから始まる夜のけだるさ

あなたでない人を愛する力などないのかも知れぬ二十九の冬

大和路をあなたと歩くまどろみの夢さめてひとり秋陽のなか

あれからの生活はずっと平坦で時おり横向く車窓の自画像


あとがき

 虚構を通じて真実が伝わればよい、と考えている。短歌の私性を否定する気など毛頭なく、ただ経験が貧しいから、想像力をかきたてて物語を創作しているのだ。とはいえ、全くの夢物語ではなく、貧しいながらも経験を下敷きにして精一杯の想像力の飛翔を試みた、と理解してもらいたい。作者と読者をつなぐのは、つまるところリアリティ以外にない、と信じている。

 この歌集の背景、すなわち二十代半ばから後半にかけてのぼくの実生活は、途中にはもちろんさまざまな事があったが、ある一人の女性とその女性との別れによる感傷に明け暮れた。情に流れた作品が多いのも、「君」「あなた」という語が頻繁に節操なく登場してくるのも、そのためであろう。しかし、それでよい、と思った。そのような歌い方でしか慰藉できない、感傷の情熱というべき高ぶりがあった。今となっては、やはり、これでよかったのだ、と思うしかない。三十代を前に出版に漕ぎ着けたい、否、漕ぎ着けなくてはならないと半ば強迫観念のように感じていたのは、結局はそのような感傷の二十代を肯定し、そのことによってその時代に訣別するためであったのだ。

 『群青の宙』は、ぼくにとって処女出版である。しかし、歌集という姿でそれが実現することになろうとは、小説を志していた学生時代には思いもつかなかったことであったし、今この時になっても、まだ半信半疑というのが正直な気持ちだ。小説には自分の才能が足りない、と小説だけでなく文学全般をも諦めかけていたぼくを、今この歌集出版にまでつなげてくれたのは、佐藤信弘さん、沖ななもさんをはじめとする「個性」の方々との出会いであり、そして光栄堯夫さんら「桜狩」の方々のおかげであった、と痛切に感じている。そして、短歌というジャンルを選び、ここまでやってこられた自分自身を、とりあえず褒めてやらなければならないのだろう、と思う。

 ともあれ、ひとつの仕事は終わった。今後、どのような短歌の世界が開けてくるのか、考えれば考えるほど心もとなさが募るが、自己の存在の確証を求めて、マイペースで詩を書き継いでいきたいと思う。

 刊行にあたっては、加藤克巳先生より適切な助言と指導、また身に余る序文を賜り、大いなる愛と深く感謝しております。また、出版を快くお引き受け下さった冨士田元彦氏、装丁の小紋潤氏、ありがとうございました。

 最後に。この歌集を、若くして旅立った明大の同窓、故加納賢治に捧げる。

一九九二年二月二九日

斉藤光悦

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