熾2018年10月号掲載
現代ストレス人に捧げる山崎方代の癒やし歌

 山崎方代(やまざき・ほうだい、山梨県生れ、1914~85年)は放浪の歌人、漂白の歌人と伝説的に語られる歌人であり、一般からも広く認知されている。「方代ファン」がいて、その数は増え続けているという。伝説の中に置かれることで現代人に憧れを抱かせ、その魅力は一層増す。方代の短歌は、定型と口語使用の混淆と評されることがある。全体として短歌の定型の枠内にはあるが、思い出したように「落ちてしもうた」「吾はおるなり」「愛と云うものだ」「いるではないか」といった口調の口語が現れる。口語といっても現代の口語短歌のようなライトバースではなく、仙人のような、はたまた田舎の老人のしゃべり言葉である。これがユーモラスでありながら苦みを含んだ哀感を醸しだし、方代の歌が広く愛誦される理由のひとつとなっている。
 以上がごくごく簡単な山崎方代という不世出の歌人の説明だが、この先は、方代を文学史的に位置づけたり作品論・作家論を展開するのではなく、ただ一点、いまを苦しみながら生きている人に対して方代の歌が持つ「癒やしの力」に絞って書いていきたい。

手のひらに豆腐をのせていそいそといつもの角を曲りて帰る   『右左口』
 鎌倉瑞泉寺にある方代の歌碑にはこの歌が刻まれており、私がこの拙論を書くきっかけになった歌である。すこし脇道に逸れるが、瑞泉寺は歌人・吉野秀雄を偲ぶ「艸心忌」が毎年開かれる秀雄の菩提寺である(住職は歌人の大下一真さん。大下さんは方代の研究誌『方代研究』の創刊にかかわり、以来、編集を担当)。寺の山門前には、秀雄と方代の歌碑がわずかな距離をおいて立っている。短歌の世界の師弟とお互いに認め合っていたかは微妙だが、文献からは強い絆で結ばれていたことがうかがわれる
 方代の実生活を顧みることなく、単純にこの作品テキストからだけ感じることをつづってみる。豆腐を買ったけれど、それを家へ運ぶための容器も持たないのか、この人は。それは生活が苦しいからか。それとも、豆腐を買ってうれしくてたまらず、そのモノの感触を手で味わっていたいからなのか。いそいそと、と浮き立つ心が感じとれるが、豆腐ひとつでそのように浮き立つとはよほど貧しい生活をしているのか。ただ何より豆腐が好物だからそうなのか。そしていつもの角を曲がるのだから、たまに買っているのではなく、このいそいそといった気分はほぼ日常化しているようだ…
 けっして豊かではなさそうな独り身の生活を読者は想像してしまうだろう。きっと肉や魚を買えない貧乏暮らしなのだろうとも。実際、方代の歴史をひもとけばそのとおりなのだが、それを知らないとしても、この歌を読むと、お金や家族的に恵まれぬ日々の生活の中でも、心の持ちよう、実際の自分をドラマや芝居の登場人物のように見立て、それを楽しんで眺めているような視点を持つことができれば、日々の暮らしは苦しいだけのものではなく、死のうなどと考えることがばかばかしいとさえ思えてくるのではないか。このような自己措定にもとづいた認識のもちかた、表現のしかたができれば、ストレス社会といわれる現代の、とくにビジネス関係でのストレスは、鬱や分裂症などの精神病に罹る前に解消していくことができるのではないか。生きがたき世を生きる私たちの癒やしになりうるのではないか。たとえば、相田みつをの「背のびする自分 卑下する自分 どっちもいやだけど どっちも自分」、星野富弘の「川の向こうの紅葉が きれいだったので 橋を渡って行ってみた ふり返ると さっきまでいた所の方が きれいだった」という言葉のように。みつをと富弘の詩や書、絵にふれて、すーっと楽になる作用が方代の歌にもある。みつをの書、富弘の絵と書を方代はもたないが、その代わり、短歌の韻律、すなわち音楽が方代にはある。文語と口語の混淆体のなんとも独特な文体が、言葉の意味作用以外に読者に訴えてくるのだ。

 方代の歌をもっと見ながら、感想をつぶやいていってみよう。
柚子の実がさんらんと地を打って落つただそれだけのことなのよ 『方代』
 目の前の輝かしい光景もそれだけのことなのよ。あんまり大げさに考えなさんな。事ほどさように生きましょう。
ゆえしらぬ涙は下る朝の日が茶碗の中のめしを照せる      『方代』
 うじうじ境遇を嘆くなって。いま目の前に飯がある。生きていけってことだ。心を感謝の念で満たして。
明日のことは明日にまかそう己よりおそろしきものこの世にはなし 『方代』
 おっしゃるとおり。きょうはきょうの心配事を悩めばよい。それにしても、己とは放っておけば不安を増幅しやまない厄介なやつだ。
生れは甲州鶯(おう)宿(しゆく)峠(とうげ)に立っているなんじゃもんじゃの股からですよ『右左口』
ふるさとの右(う)左(ば)口(ぐち)郷(むら)は骨壺の底にゆられてわがかえる村    『こおろぎ』
 私はたいした者ではございません。故里で生まれ、骨になって故里に帰るだけなのです。それ以上でもそれ以下でもなく、悪あがきはいたしません。
卓(ちや)袱(ぶ)台(だい)の上の土瓶に心中をうちあけてより楽になりたり    『こおろぎ』
寂しくてひとり笑えば卓(ちや)袱(ぶ)台(だい)の上の茶(ちや)碗(わん)が笑い出したり    『こおろぎ』
 煎じ詰めれば自分だって物。その気になれば、物と物とでコミュニケーションはできるかもしれない。相手が何であろうと関係ない。しゃべって思いを外に出してみたら、楽になる。
一度だけ本当の恋がありまして南天の実が知っております   『こおろぎ』
 自分の秘密を知ってくれている存在がある。それで十分だ。故里の南天の実が覚えていてさえくれれば。そういう樹木は誰にでもあるだろうさ。
あかあかとほほけてならぶきつね花死んでしまえばそれっきりだよ            『こおろぎ』
 ほんとにそれっきり。こんなにきれいな花にもうお目にかかれない。この一期一会を生きてみたらどうだ。
ある朝の出来事でしたころぎがわが欠け茶碗とびこえゆけり  『こおろぎ』
 一人一人の不幸のドラマだけに縛られないで。私たちは世界の中に大小さまざま二度とお目にかかれない出来事に囲まれている。人生を見限るなんて、もったいないじゃないか。
このようになまけていても人生にもっとも近く詩を書いている   『迦葉』
 世の中に役に立っていない無用者だが、人生は至極まじめに生きています。
夕日の中をへんな男が歩いていった俗名山崎方代である      『迦葉』
 つらい自分自身をこのへんな男のようにイメージしてみたらどうだ。そして俗名なんのなにがしと声に出せ。憑きものが離れていくかもしれない。
地上に夜が降りくればどうしても酒は飲まずにいられなくなる   『迦葉』
 だけど飲み過ぎは御法度だ。心を守るために飲んで飲んで飲まれて飲んで、体を壊したら元も子もない。
死ぬ程のかなしいこともほがらかに二日一夜で忘れてしまう    『迦葉』
 布団に入って、ごくらくごくらくと言って、全部忘れてしまえ。明日のことは明日悩めばよいのじゃないかな?。

 恵まれない環境にあっても、足元をしみじみと見た時にほのぼのとした世界が立ち上がる。これらの歌を口ずさむと、人のぬくもりのような暖かさを感じて、こころがやさしくなったり、癒やされたりしているのではないか。このように私は方代の歌から、文芸作品としての感動をもらうだけでなく、日々の生活における癒やしの言葉、救いの言葉をもらうような気がするのである。方代の歌がこの種の歌だけではないのはもちろんだが、他の歌人に比べてその数は多い。方代の人気の所以の一つだろう。
 人生の不如意、不幸、さらには孤独を深刻に歌う歌人はたくさんいたし、今もたくさんいる。その表現法は、不幸や孤独を自らと不即不離のものとして存在全体で引き受けて、その厳しさそのものにふさわしい文体、韻律が選ばれる。方代が師と慕った吉野秀雄の『寒蟬集』の中にある「遮蔽燈の暗き燈(ほ)かげにたまきはる命尽きむとする妻と在り」「わが門(かど)に葬儀自動車の止(とど)まれるこの実相(ますがた)をいかにかもせむ」のような歌はその代表と言える。悲しみの強さ深さと抑揚大きく引き締まった文体が見事に同調している。
 悲しみや孤独はこのように歌おうとするのが普通のように思うが、方代は違う。自分の境遇や心境は突き放して他人事のようにおもしろおかしく、アイロニカルに歌う。それこそが方代の真骨頂であり、歌壇で評価されるだけでなく、「方代」として世間一般からも人気を集め続ける理由がある。石川啄木が啄木と言われ、一般的な人気を長く持ちつづけているのと社会現象としては似ている。

 ここでそれぞれ方代と同じ結社の仲間であり、歌集の解説や後記を書くなど良き理解者であった二人が方代をどう見ていたかを紹介しよう。この二人が方代を方代たらしめたと言っても言い過ぎではないと思われるその二人である。
 玉城徹は歌集『迦葉』の解説で、「
方代は意識的な作家であった。それは、自分の作品世界のなかに『方代』という象徴的主体を設定して、さらに、その主体を現実生活の中でみずから演じて見せたという、それだけのことではないのである。『方代の運命』とでも称すべきものテーマを生きることを、この作者はつねに自分に課した」と書いている。
 岡部桂一郎は『右左口』の後記で、「作品の持つおもしろさ、ある種の人なつっこさは必然的に作者の人間への興味へとさかのぼらせる。もし、短歌に文体というものがあるとするならば、これほど特色のある文体はめずらしい。通俗をおそれず通俗すれすれの分岐点であやうくふみとどまることによって通俗を超える」と方代の作品、文体を語っている。さらに岡部は方代の人間像について言う。「世の中の無用者にちがいはないが、現実に対して抵抗の姿勢をもつ晴れがましい無用者とは無縁である。肩ひじはった無用者は実は無用者ではなく、無用者たらんとする有用者の謂でもあるのだ。方代の魅力は脱俗の隠者ではなく、むしろ俗の中に立つ無用者の魅力であろう」。
 現代ストレス社会は、経済効率至上義など社会体制に全面的に原因があるかのように語られがちだが、そうとばかりも言えない。そこに生きる個々の人間の意識の持ち方にも問題がある。自分が自分がと自分に意識をあてすぎ。自分が大好きすぎ。昔方からの言い方をすれば、自意識過剰、自己中心(ジコチュー)が蔓延し、その度合いが増している。自我の殻を何重にも重ねてがんじがらめなのだ。ストレス、自意識過剰により精神疾患に罹病するリスク、昂じて死に至るリスクも高まっている。方代はこのような社会にアンチテーゼをぶつける存在である。仮の世を演じて生きる者として自らを突き放して見ましょうや。玉ねぎの皮を向くように自意識を一枚一枚はいでいったら楽に生きていけます。そして、俗名なんのなにがし、いまなんとか生きてます、と夕日や茶碗、虫に語りかけてみたらどうだい。方代さんはそんなメッセージを、悩める人に送り続けているのではないか。最後に『こおろぎ』から一首。
こんなにも赤いものかと昇る日を両手に受けて嗅いでみた

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