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角川短歌2020年8月号「親父の小言」掲載

見くびってはいないか地元短歌会

 親父の小言と青年の主張はいつの時代もかみ合わぬ。とはいえ、この世代間の分断を放っておいてよいわけはないことは、親父側(高年齢)も青年側(若者)も重々承知だろう。この状況を打開する方法論が難しいのだ。総合誌における老若男女うち揃った対談企画増発などが考えられようが、私はここに「地域」という要素を加え、地域における世代間の交流と切磋琢磨を期待したい。具体的な形としては、地域短歌会の活性化である。有名結社ですら若者の獲得に苦労するなか、地域短歌会に若者を呼び込むのはもはや不可能というのが大方の見方かもしれない。だが逆に、地域に根ざした集団でなければ達成しがたい何かもあるのではないか。
 親父が若者に「仲間内の言葉遊び」「意味不明」「思索と教養の欠如」「定型の軽視」云々と文句を付ける。一方、若者は親父に「古くさい」「盆栽趣味」「どこかで見た歌ばかり」「年寄りの愚痴」等々と言い返す。それぞれ批判するが、相手のいないところでの批判であり、相手には届かない。しかし地元の歌会ならば、それが届きやすい距離感にある。生活の場を同じくする者同士の共感がベースにあるからである。理解したり共感したりする努力を最初から投げ出すということがしにくい磁場が働いているように思うのだ。それは「縁深き人」同士だからだろう。この磁場の中でかわされる世代間の批評は、対立や反感よりも理解や共感へとつながりやすい。
 若手には、SNSや結社だけでなく、地元の短歌会に参加し、その活性化に役立ってもらいたい。そこには、人生のリアルな先輩がおり、実生活に深く根ざした短歌をつくっている。そこにあなたがたの現代的テーマ、表現の冒険の息吹き吹き込んで欲しい。こうした刺戟により、それぞれの世代のマンネリが打ち壊され、とくに若手にとっては「言葉遊び」を脱した文体の成熟に必ずや資するにちがいない。

 

 

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