小高賢論「歴史を俯瞰する意志」 

斉藤光悦



 歌人であり文芸評論家、かつ名編集者でもあった小高賢のテーマは、一貫して「歴史」と「時間」であったと思う。歴史は人類が誕生してから今にいたるその歴史でもあり、ひとりの人間やその家族の歴史でもある。それゆえに実生活レベルでは、人生という歴史の終わりである「死」への関心が人並み外れて深かったようだ。文芸や歌壇を俯瞰する位置に視点を置いた自由闊達な表現の影に、意外にも臆病に死への恐怖を垣間見せていたのが小高賢の特質だったと言えるのではないか。文学どっぷり、歌壇どっぷりではない小高が、各方面からその評論の信頼性を買われたのは、編集者として『現代思想の冒険者たち』『選書メチエ』などを世に送り出し得た思想史のバックボーンがあったからだろう。

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 “歴史”と言えば、宇宙史、地球史、生物史、人類史、文明史、宗教史、文学史、技術史といったように長短様々なスパン、系統別の観点があるが、普通、歴史に興味があるという人は、ほぼ文明史を指しているように思う。宇宙・地球史、生物史は理系の担当だが、文明史は文系(社会科学)の学問フィールドだ。人間と人間の関わりがなぜ始まり、関わった結果何が生まれ、その連なりや積み重ねが何を引き起こしてきたのか。底流にはどんな思想が流れているのか。その思想はなぜ思想として生まれ受け入れられるにいたったのか。興味の尽きない”人間と人間との、組織と組織との経時的な関係学”である。その認識を強く踏まえたうえで、小高は自分に問い、自分の生きている社会に問うのだ。いま生きているこの私は何者か。なにを為すべきか。死によって限られるこの短い生で自分のいま生きる意義はなにか。社会に、暗い時代への揺り戻しの萌芽があるとするなら、そうならぬようしっかり発言し、行動し、同じ轍を踏まぬようにするのが歴史的存在としての文明人のあるべき姿ではないか。小高はきっとそんなふうに思っていたのではないだろうか。

 小高賢は、文学より前にこの“歴史”の世界に引き込まれる。大学在学中にマルクス主義関係のもの、サルトル、ヴェーバー、丸山真男などを熱心に読んだという。次第に歴史に関心が移り、経済思想史、社会思想史を専攻。とくに丸山への傾倒が深く、その後も続く。卒業後、短いキヤノン勤務を経て、講談社に入社。週刊ポストの記者などを経て、編集者生活が始まるが、その興味の対象はやはり歴史や思想だった。学芸局、学術局で活躍し、先述したように『選書メチエ』、『現代思想の冒険者たち』、『日本の歴史』シリーズを創刊している。話は脇道にそれるが、私はこれら評価の高いシリーズが小高賢の仕事であることをつい数年前まで知らなかった。私はこれらシリーズの愛読者(貪るようなそれ)であったから、もしもっと早く知っていたら、小高の短歌に関する評論を、リアルタイムに、しかももっともっと興味を持って読んでいただろうと、どうにもならぬことながら非常に残念に思っている。

 小高賢の歌人としての出発は、三十四歳。自ら曰く「遅い遅い出発」である。この時期、もっぱら思想、歴史に小高の関心はあり、短詩形文学とはまったく縁がない。こういう小高が、短歌を“一句”と言ってひんしゅくを買ったりするのは当然だったわけで、思想・歴史的なものより短歌的なものを低くみていたと小高自身が語っている。

 遅い文学的出発、そして思想・歴史への傾倒。これが歌人・小高を生涯規定しつづけたのである。

 

・どうしても詩人になれぬ生卵割りて九月の食卓に座す『耳の伝説』

 

 文学サロン的な、ナルシスティックな甘ったるいことはそもそも発想しないし、たとえ頭に浮かんだとしても、気恥ずかしくて表出できないのだ。

 十代、二十代の若書きのロマンティシズムが小高にはない。ナルシズムやロマンティシズムを自分が引き受けるのは最初から無理、とあきらめてスタートした歌人だったと言ってよいだろう。伊藤和彦との対談の中で小高は、「自分の限界はわかっている。文学をやる人にはナルシズムがないとやっていけない」と語っている。吉川宏志も「"芸術のための芸術”という趣の作品はほとんどつくらない」と小高を評している。”ただごと歌”まではいかない”ヘタウマ短歌”と言う人もいた。

 では、ナルシズムのない文学、短歌とはなにか。あるいは、小高はどんな短歌を目指したのだろうか。

 日高堯子が小高の歌をこう分析している。

「現在という生の時間と空間を、たえず歴史的な時間の流れの方から照らし出して見ようとする」。その通りだと思う。小高の目は、時間的な鳥瞰の目なのである。いわゆる「歴史」という太古から今へ連綿と続く長い時間。そういう大きな流れだけでなく、日本の歴史、社会の歴史、文学の歴史、思想の歴史、そして家族と個人の歴史。小高の目は、ミクロ・マクロな歴史を行き交いつつ現在を照らし出し、果ては未来を恐れたり期待したりするという視線である。こういう目にナルシズムはなじまない。

 

・一族がレンズにならぶ墓石のかたわらに立つ母を囲みて『耳の伝説』

・父というボタンはめれば烏なく祖先の墓もいずれわが墓『耳の伝説』

・雨にうたれ戻りし居間の父という場所に座れば父になりゆく『家長』

・父の座に子の座る日を仏壇にわれは他界の父として()眺る『太郎坂』

 

 ひとつの家族の繰り返す歴史を歌っている。歌っているというより認識の提示と言った方がよいだろうか。母が子をなし、子が父となり、また子をなす。その輪廻をさまざまなカメラアイでとらえる。墓の周辺のどこか、居間という場所のどこか、そして他界のどこかに視点を置いている。一族の歴史の中で今自分がここにあること。そして、やがてこの自分も“ここ”からいなくなること。これが小高のメインテーマである。小高の歌には「一生」(ひとよ、いっしょう)という言葉が多い。

 

・ひとり来て孤りにて去るふかぶかと悔しみ積もるこの地表より『耳の伝説』

・端的にいわば一生(ひとよ)一生はぐにゃぐにゃの赤子のからだ(ひび)罅入るまでか『家長』

・一生は簡素なるかな火に浄めたやすく壺に詰められおわる『家長』

・かりがねは夕空をふかく裁ち切りて来し方行く末身の溶けるまで『太郎坂』

・考えてみれば時間はわがのちものっぺらぼうにつづきいるべし『太郎坂』』

 

 “時間”のとらえ方は文明によって多様であるという。一本の棒のようなものという認識。輪のようにめぐりめぐるものという認識。そして、空間的な比喩をともなわない成熟するとか染み入るとか溶けるというような化学的なとらえ方。小高の歌の中にはそのいずれもの認識が現れている。時間の認識は、すなわち死生観のありかたと結びつく。小高の時間認識は、若いうちから歴史や時間に関する先人の思想から強い照射を受け、知らず知らずのうちに身についたものであるだろう。

 馬場あき子によると、小高賢は死についてよく語る人だったという。しかも内省的にではなく、生き生きと楽しげに。「もしも死んだら」という設定が苦痛を伴わず、むしろ安らぎとして語られるのだという。気楽に死を語ることで、自分にも常に寄り添う死の影を受け入れようとしていたのだろうか。

 だが実は、小高は自分のことを臆病だと自認している。そして、そのことを詠った作品に秀歌が多い。

 

・生涯をおえる順番まつごとし呼ばれるまでの病院の椅子『太郎坂』

白髪(しらが)白髪の家系に比率は高し俗説の聞こえてくれば癌をおそるる『太郎坂』

・身のうちの病の種は葉桜をゆらせる風にまぎれ消え去る『太郎坂』

 

 『太郎坂』のあとがきに「二度にわたって病気の体験をもってしまった。根が臆病なこともあって、かなり気にやんだところがある。… そういうとき、短歌を続けてきてよかったと感じた。たとえひとすじでも自己救済の可能性があるからである」

 

・川を見て一日(いちにち)一日おくるこの一日(ひとひ)一日幾千かさね一生となる『怪鳥の尾』

・死者ひとりかかえて帰るこうやっていくたびおくりわれも逝くのか『怪鳥の尾』

・「略歴を百字以内に」かきあげるこの文字数のごときわれかな『怪鳥の尾』

・身のめぐり死者ふやしつつ死者となるまでをくるしみ励む一生(ひとよ)一生か『本所両国』

・『人生の短さについて』読み終わるころ新宿は灯りまばゆし『長夜集』

・「もうすぐ」という声すれど「もうすぐ」に()入るにはいまだ「もうちょっと」要る『長夜集』

・幾千夜土にねむればしらほねはさくらの花に()生り沁み出でん『長夜集』

 

 具体の表出があまりなく、観念的に詠っているのが特徴で、アフォリズム集の様相もたたえている。ショーペンハウアーの人生論の一言一言を読んでいる感がある。身の回りに起こること、そのすべてが歴史や死生の観念に収斂していくかのようだ。「人生とは何か」をつねに考えて生きている。

 また、自らの生を母の生とつねに重ね合わせて眺めている小高が印象的だ。

 

・本当の孤りは母を喪いて絆解かれてのちにくるらん『怪鳥の尾』

歩行(あゆみ)歩行おそき母につきそい坂下る母の歳月われの歳月『本所両国』

・生きるとは母のぬくもりひきずりて半歩一歩と死へ向かうこと『本所両国』

 

 小高は伊藤和彦との対談で、「僕はやはり歴史に興味がある」とか「近代文学史とか、近代思想史の中に短歌を位置づけらないかという気持ちになる」と語っている。

 歴史学的なもの、思想史的なものが常に優先的な位置を占めていたのかもしれない。が、先述した太郎坂のあとがきにあるように、観念としての死ではなく、現実の死と向き合ったとき、短歌を続けてきてよかったと感じ、自己救済の可能性を実感したという言葉は、短歌と歴史的なものが、いつのまにかからみあい、不可分のものになっていったと言えるのではないだろうか。遺伝子DNAの二重鎖のあの美しいイメージのように。

 小高は、とつぜんあの世に召されてしまったが、歴史的なものと一緒に短歌をひしと抱えて旅だったのだと私は思いたい。そして、墓や仏壇の歌のように、あちらの世界からこの歌壇を見ているのではないだろうか。

 

 小高の所属していた歌誌「かりん」の三月号に彼の最後の歌が掲載された。そのうちの一首がことに印象深い。辞世の歌として記憶にとどめたい。

 

・明日は雪の予報にこころはずみたる夜をみつめるガラスの彼方

 

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