島田修三歌集「露台亭夜曲」書評

斉藤 光悦

(本阿弥書店 「歌壇」2021年5月号掲載


  『露台亭夜曲』は、『帰去来の声』に続く第八歌集である。昨夏の十日間ほどで第九歌集『秋隣小曲集』と一緒に編集したという。島田修三の歌集は、そのタイトルがユニークである。第一から第六歌集までを振り返ってみると、『晴朗悲歌集』『離騒放吟集』『東海憑曲集』『シジフォスの朝』『東洋の秋』『蓬歳断想録』となる。この命名からだけでも、著者の博学ぶりや歌に対する姿勢、戦略のようなものが見えてくる。歌を読み出す前にすでに「島田節」が聞こえるのだ。ここで特記したいのは、実に四半世紀ぶりに『○○集』という歌集名が復活したこと。これは島田修三ファンにとっては素直に嬉しいことでありつつ、なぜ『○○集』を復活させたかという謎を提起されたということでもある。

十七歳のわがありし日の鵠沼の海はおもほゆ書割のごとく

小学唱歌「朧月夜」を母に聴かせ不意に抱かれし遠き遠き日よ

逝く人は余波の向かうに消えてゆきやがて水面のしづもれるまで
 六十四にしてすでに十分に長生きしたと自認する島田の”ノスタルジー全開”である。歌集名の復古もこれと無縁ではないだろう。雅俗の鮮やかな対照が島田の歌の世界の特徴だが、「俗」を露悪的、あるいは戯画的に強調するような歌は、本歌集では鳴りを潜めている。
 歌集名の「露台亭」は、ヘミングウェイが晩年通ったキューバの料理店「ラ・テラサ」に思いが重なり、人生の晩年、ほろにがく酔いながらテラスの片隅で夜曲をくちずさんでいる自分をイメージしたという。ヘミングウェイの名言に「我々はいつも恋人を持っている。彼女の名前はノスタルジーだ」があるが、まさに島田もその恋人を抱きしめている。「たまゆら」という古語を好んで使う島田だが、人生はたまゆら、の思いのもと出来事や去った人々を追想しているのだろう。このノスタルジックな歌集は、次の歌集の「だしぬけに君は彼方へ行つてしまひ此方で俺の哭く夜がある」の歌や「富岡海岸」という長歌が詠いあげる悲傷の世界への序曲ともなっている。
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