歌人インタビュー

三枝浩樹さんに聞く

2020年「熾」4月号掲載)

                     斉藤光悦


ーー先ほどは、「沃野」の東京歌会に参加させていただき、有り難うございました。きょうは短歌との来歴、短歌と信仰、抽象と具象、等々についてお話をうかがいたいと思います。実は三枝さんと私とはちょっとした縁で結ばれています。現代歌人協会の会員名簿二〇一五年版では三枝浩樹(さいぐさ・ひろき)さんの次は私斉藤光悦(さいとう・こうえつ)で、同じページで上下に並んでおり、私はこれをとても喜んでいるのです。余談はさておき、まずは作歌の個人史を振り返ってください。
(三枝)斉藤さんが抄出してくれたぼくのこれまでの歌を見て、こんな歌をつくってきたんだなあと感慨深かったです。
ーー全ての歌集を読みました。私の一方的な感覚なのでしょうが、三枝さんの歌の世界に強いシンパシーを感じました。歌を作り始めたのはいつ頃でしょうか。
(三枝)父が短歌をやっていた関係で家には歌集など歌関係の本がたくさんあったので、それを見ているうちに、作ってみようかなと始めたのが中学二年くらいですね。父には一年くらい歌をみてもらいましたが、ぼくが中学を卒業した春に亡くなりました。それが本気で歌をつくり始めるきっかけになりました。
ーー三枝さんは、歌の系統的には窪田空穂系ということでよいでしょうか。
(三枝)そうです。空穂には三高弟といわれた弟子がいました。松村英一、半田良平、そして植松壽樹です。ぼくの父はその植松さんの弟子だったんです。その関係でぼくは十七歳の時に植松主宰の「沃野」に入会しました。
ーー高校時代はどのような歌を作っていたのですか。
(三枝)その当時、歌とはこういうものだろう、というのが近代短歌でした。空穂の歌はもちろん、啄木、牧水、それから茂吉や白秋なんかの歌を面白いと思っていて、歌ってそういうもんだと思っていました。だからぼくもそういう感じの歌を作っていたのです。それが二年くらい続きました。
 そのころ兄の昂之が早稲田大学に入って、早稲田短歌会に入りました。その兄から伝えられる様々な情報にカルチャーショックを受けるわけです。前衛短歌が最盛期でしたから、塚本や岡井、寺山の歌が現代の短歌であり、近代短歌なんてもうだめだというような空気に触れたわけです。そこから、自分の作品が自然と変わっていきました。
ーー高校時代は近代短歌。そして、お兄さんの影響を受けて現代短歌に触れたころ、東京に出て法政大学にお進みになる。
(三枝)大学には短歌会がなかったので、法政短歌会を作りました。毎月歌会を開き、『風車』という雑誌も出しました。若手発掘に非常に熱心な名伯楽で、「ジュルナール律」の編集発行人で文化人類学者でもある深作光貞さんが歌会に顔を出してくれて、シンポジウムをやりたいという相談をしたら、じゃあ講師を呼ぼうということになって、岩田正さんと前田透さんの二人に声をかけてくれました。そこで初めて会った岩田さんがぼくの歌を、この歌はなかなか良いから、この方向で進めば良いのではないかと言ってくれた。それが大きかったですね。
ーー大学を卒業後、郷里に帰り高校の英語教師として就職されました。伝説の結社とも言われる「反措定」の結成もその頃ですね。
(三枝)沃野をやめて、福島泰樹さん、伊藤一彦さん、兄昂之たちと「反措定」をつくりました。第一歌集の『朝の歌』は反措定叢書から出しました。その後、かりん、りとむを経て、二〇〇九年に沃野に復帰し、現在に至ります。
ーーでは、次に信仰と短歌というテーマについてお話し下さい。
(三枝)ぼくの生き方のベースには信仰があります。神と私というものの関係が、ぼくの中心にあります。しかし、神を見た者は誰もいないというのが真実であり、見えない神であるから、その見えない神と自分の関係は、結局、人との関係の中でそれを表していく以外にないということです。聖書の中でいちばん大切な教えは、「心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くし、思いを尽くし、あなたの主なる神を愛しなさい」です。それが第一の戒めで、第二の戒めは、「自分を愛するようにあなたの隣人を愛しなさい」です。神を愛する愛と、自分を愛する愛と、隣人を愛する愛。とくに、神を愛するというのはどういう形で愛したら良いかというのは、わたしたちが自分を愛するように隣人を愛するという愛の中に表現されていく。だから、自分を愛するように隣人に対する愛を示した時に、神への愛というのが反映されているはずだという考え方だと思うんですね。
 こういった神への愛を通奏低音として、この世の具象を通じて短歌として表現してゆくこと。この課題を心に留めてぼくは歩んできたと思っています。別の言い方をすれば、あるアンソロジーで作歌信条として書いた「心を占める思い、特に祈りに通ずる思いを形象化し、表すこと」ということです。
ーー『時?集』の後書にも、「歌は鎮魂であり、祈りでなければならない。とそう考えた時期が長かった。これはわたしの歌に対する基調音のようなものかもしれない。精神のあやういバランスを、歌うことによって辛うじて支えてきたのである。歌はささやかな慰めであった。この基調音がやがてわたしを聖書に導いていったのだ」とあります。
 この世の具象のひとつになるのだと思いますが、三枝さんはよく空気や光を詠います。そういうものに神が偏在しているように感じているのですね。
(三枝)自然を通して神を感じるということはあります。とくにぼくは甲府の郊外に住んでいて、周囲はぜんぶ山なんです。富士山をはじめ、南アルプス、それから八ヶ岳。そういう自然に囲まれて自然に親しんでいると、自然を通して神が身近に感じられるように思います。
ーー豊かな自然の中に暮らしていれば、写生一本槍みたいな歌を作るということもあり得た思いますが、三枝さんの歌風はそうではありません。
(三枝)若い頃はなんか息苦しくて、なんか自分で表現しないではいられないものがあって、観念的な歌を作っていました。観念的だ、難しいと若い頃はほんとによく言われました。もうちょっと描写しないとだめだと。けれども、どうしても具象だけではなく表現したい内面的なものを抱えていたので、それを短歌で表現していた。ただ、どんなに観念的なものに親近感をもっていても、それを表現するときにはひとつの具象とか写生というものが必要だということはわかっていました。ぼくは観念または抽象的なものと具象の交わりのひとつの理想形として、近藤芳美の『埃吹く街』の「水銀の如き光に海見えてレインコートを着る部屋の中」をとらえています。海のたたずまいを水銀のごとき光と感じ取った。その海をそのように見立てたときに、自分の中に内在している鬱々とした憂愁とか悲しみとかが知覚された。海の情景をスケッチしているのだけれどそれは自分の内面のスケッチでもある、という歌です。こういう歌の持つ思わぬ深さに憧れてきました。
ーー第一歌集の後書に次のように書いてあります。「即物感と抽象感覚に充ちみちた歌を、というのが、かねてからぼくの希求してきところであった。この相反する二つのものをいささかも割引くことなく駆使すること。そのどちらが欠けてもならないのだ。即物性と抽象性、この二本の糸の織りす緊張関係のあわいにこそ詩的世界の豊饒性は生まれうる。そのみずみずしい手ざわりと抽象する鋭さに向かって、わが歌の翼ははばたくのだ」。美しく声高らかな宣言ですね。
(三枝)「即物感と抽象感覚に充ちみちた歌」。これを目指しているのは今でも変わっていません。ぼくがこの第一歌集を出したとき岡井隆さんに、三枝の歌は聴覚的だけれど、「弱視型」だと指摘されました。いささか心柔軟にすぎる叙情質、しかも弱視型の歌人だと。つまり視覚で物を捉える力が弱いという指摘をいただいた。その言葉がきっかけになって、自分の観念的なところを一つずつ脱して、描写を通して自分の思いを表現していくことを心に置いて歌ってきました。大切なことを岡井さんは指摘して下さったと感謝しています。
ーー三枝の歌は難しいとか分かりにくいとか言われることは多いですか。
(三枝)多いですね。いくら即物性を心がけても観念性が強いからでしょうね。
ーーさきほどの歌会での三枝さんの作品もそうだったのですが、三枝さんの歌はすべてを分かろうとするとなかなか難しい。それは観念的、抽象的表現が重きを占めているからでしょう。とはいっても、だれにも一〇〇%分かる歌を作るということは無理で、しかもそれはオリジナリティを損じることにもなります。私の歌も抽象性にオリジナリティを求める歌がけっこうあり、韻律がその分ごつごつしてしまうこともあるのですが、観念世界の美しさっていうのもあると思っていますし、それを歌わなければ自分でないとも思えます。
 最後になりますが、迢空賞を受賞された『時?集』について、純粋に歌集の力のみによる受賞であり高く評価されるべきだと評している人がいました。
(三枝)それはとても有り難い評価です。
ーーその話を聞いた時に私は、第四回の迢空賞受賞した加藤克巳の『球体』のことを想起しました。この受賞も歌集の「底力」によってもたらされたものだったと思います。歌壇的には傍流で、抽象的で簡単にはわかりにくい歌の多い歌集が受賞したのは歌壇史に特筆すべきことだと、我が師のことながら思います。三枝さんは、克巳の歌についてどのような感想をお持ちでしょうか。
(三枝)克巳さんとは、何度かお会いしたことがあります。ただ、いわゆる良い読者ではなかったですね。だけど、独特のシュールレアリズム、非常に哲学的な歌の世界を構築されてきた歌人で、自分はああいう歌はつくれないし、自分の目指している歌の世界とは違うけれども、非常に大切な歌人だと思っていました。
ーーまだまだおうかがいしたいことはありますが、もう時間のようです。本日は長時間、有り難うございました。
………………………………
三枝浩樹作品抄

〈少年〉の声に呼ばれてめくりゆく古きノートのなかの夕焼け『朝の歌』
チェンバロの銀の驟雨に眼を閉ざす 樹も樹の翳も寂(しず)かなる午後『銀の驟雨』
過ぎ去りて失いしものなにあると衝かれてわれは秋のまなかなる『世界に献ずる二百の祈祷』
卓上に濡れてふた房の葡萄あり かつてわがもちし朝のかなしみ『みどりの揺籃』
神を見し者ひとりとてなき人の世に頬擦るごときオーボエの音(ね)や『歩行者』
ゴドーを待ちながら人生がすぎてゆくかたえの人もようやく老いぬ『時祷集』

inserted by FC2 system