歌人インタビュー

坂井修一さんに聞く

斉藤光悦
2020年「熾」10月号掲載

――ほんとうは東京大学におじゃまして、直にお話を聞きたかったのですが、このようなコロナ禍の状況で、テレビ会議システムを利用してのリモートインタビューとなりました。坂井さんは歌壇においての活躍、その存在感は言わずもがなですが、東京大学の情報理工学系の教授でもいらっしゃいます。短歌や文学のことのみならず、コンピュータ関係の科学者との両立についてもお話を聞きたいと思います。
 その前に余談なのですが、私の第一歌集『群青の宙』は一九九二年に雁書館から出版しました。坂井さんも第二歌集『群青層』をその年にやはり雁書館からお出しになっています。一九九二、雁書館、群青、これら三要素が共通しています。ほぼ三十年前、神保町の雁書館の事務所で、冨士田元彦さんや小紋潤さんとそれぞれ会っていたのでしょうね。そんなわけで、一方的に親近感を遠くから感じてきておりました。
 さて、本題に入らせていただきます。まず短歌との出会いについてお話し下さい。

坂井)私が短歌の世界に入ったのは大学二年生の時です。同級生に「かりん」の歌会に連れて行かれたことがきっかけとなりました。それまで私は雑誌や新聞などへ投稿の経験がなかったのですが、いきなり馬場あき子さんに歌をやりなさいとあの調子で言われちゃって(笑い)。新聞・雑誌に投稿しながら、だんだん本気でやるようになっていくのが普通かと思いますが、私は経験のないところで最初に作った歌をいきなり馬場さんが見た。かりんができた年のことでした。創刊の時に若い人を入れたいということがあったのでしょうが、私は別に短歌でなくてもよかったんです(笑い)。そんな経緯で短歌の世界に入りました。

雪でみがく窓 その部屋のみどりからイエスはりニーチェは(さか)
                              『ラビュリントスの日々』

 そのころ、二十歳前後の作品です。東京の大学に入って、下宿してという新生活だったわけですが、大学といっても、教養の頃はあまり講義が楽しいというものでもなくて、思っていたほどアカデミックでもなかった。いろいろと失望する中で文学的なものを自分の人生に入れていきたいという気持ちがありました。イエスとかニーチェとかいう香り高いものが身の回りになくなったなぁ、という喪失感。そういう歌なんですが、私の作歌はこのへんから始まっているというのがよくわかる歌です。

――その後、情報科学系の研究の傍ら、作歌に取り組み続けてきました。何かを表現したい、自分の中に文学的なものを取り入れていきたいという欲求を満たすのが短歌という形式だったというわけですね。短歌と出会う前にすでに文学というものに目覚めていたということですが、それはいつ頃からでしょうか。愛媛県出身ですから、大江健三郎の影響などはありますか?

坂井)大江さんの影響は相当あります。現代の先端に立ちながら人間の根底にやさしさをもっている、それは本当に素晴らしいものだと思っています。大江健三郎と開高健、このふたりからは大きな影響を受けています。私は近現代の歌人から表現上の影響はもちろん受けていますが、人生への影響はほとんど受けていないと思っています。それはもう、五千年前のシュメールの石碑に書かれていることや、あるいは一万年前のラスコーの壁画に描かれている牛の絵ほどの影響も受けていません。ゲーテとかヘッセとかいう文豪から受けた影響よりもずっと小さいですね。

――大江さんの小説では、どの作品がお好きですか?

坂井)『死者の奢り』や『飼育』など若いころが好きですが、最近作も読みます。開高さんは『玉砕ける』がいちばんかな。

――私も大江作品の愛読者です。主要作品はだいたい読みました。私は『万延元年のフットボール』がいちばんです。その書き出しの「夜明けまえの暗闇に眼ざめながら、熱い『期待』の感覚をもとめて、辛い夢の気分の残っている意識を手さぐりする。」は、初めて読んだ時も、そして今でも私の人生でもっとも心震わす文体と言えます。あと、小説ではありませんが、『書く行為』(大江健三郎同時代論集)は真っ赤になるほど赤線を引きながら読みました。文学における「異化」ということについて、あの独特の文体でとても的確に説明してくれています。

坂井)『万延元年』ですが、最後のアフリカに行っちゃうところなんか良いですね。ああいうヒューマニズムがありながら、現代に対峙していこうという姿勢は、自分の人生にすごく影響を与えています。

――現在に続く科学と短歌を両立する生活が始まったわけですが、そのあたりの生活の感覚について教えて下さい。

坂井)人が想像するほど無理ではなかったんですが、やっぱり若かったので、切り換えようと思っても感情的なギャップがありすぎる、ということはありましたね。いまは理系だ文系だという区別なく生きていいと思っていますが、自分の周囲が数学の問題を解くことに生きがいを感じているような人たちばかりだと、逆に情緒面を基盤とする歌の世界の存在が私には必要だったと言えます。

科学者も科学も人を滅ぼさぬ十九世紀をわが嘲笑す
『ラビュリントスの日々』

 すごく簡単に言うと、私は人間の歴史が進歩の歴史だとは見えない人間なのです。科学をやる人というのは、世界は年を逐って進んでいると言う人が多いので、そのギャップがずっとあって、こういう歌ができたりしました。

――いくつもの歌集を出している中で、歌にかける考えは変遷してきていると思いますが、変わらなかったものもありますね。

坂井)第一歌集の名前は『ラビュリントスの日々』でしたが、その後年を経ても、人生は結局「ラビュリントス(迷宮)」だというのは変わらないですね。なにかを合理的に解決するというのはもちろん試みるわけですが、本質的なところは迷宮だな、と。人間、自分が何であるかなんてたぶん死ぬまで分からないですよね。そういう認識は変わらなかった。

――かりんの同人のブログで『ふたりの博士 坂井修一とファウスト』という評論を読みました。『ファウスト』の作者ゲーテは科学者でもあり、世界文学史上最高レベルの文学者でもあった。そのあたり、意識することはありますか?

坂井)ゲーテと比べられるなどおこがましいことですが、古代からずっとある全人格的というか全学問的というか、そういうものに対して開かれていたい、という気持ちはあります。しかし人間、食っていかなければならないし、スペシャリティを先鋭に磨かなければならないということもあるので、それはすごく難しいことではありますよね。そういう葛藤がずっと何十年も続いてきたけれども、結論的には、全人格的なものでないと最後はいけないと思っています。

――坂井さんの歌には哲学者の名前がよく出てきますし、大学生に哲学を勉強させろというご自身の歌もありますね。

坂井)最近、世の中が即物的すぎて、大学が専門学校みたいになっていくんじゃないか、と心配しています。

――歌壇についてはどんな認識を?

坂井)優秀な方は多いし、世の中全体にもっと認められないといけないという気はします。ちょっと内向きで、七十、八十代くらいの方々が大家になりすぎている気がしないでもありません。ここで安住しては困るよ、みたいなことは思いますし、そういう批評をしたりもするんですけど。でも、自分が八十になって意気軒昂にいろんなことができるかというと、自信はありませんが。

――若手の日常語短歌と、一方でたとえば坪野哲久とか木俣修なんていう本格的な短歌と、そこにすこし断絶があるようにも思いますが、いかがでしょうか。

坂井)そうかもしれませんが、その時代時代のいちばんの代弁者というんですか、たとえば哲久の左翼的な歌なんかは、あの時代の若い人や労働する人の心の代弁であったんだろうし、俵さんは俵さんで、最初はバブルの時代の代弁でしたね。代わりにものを言うという機能を短歌は果たしてきていると思います。ただ私は、あまりそういう立場に立つことはありません。いろんなものを見ながら独自にものを言いたい人間なんです。

――第一評論集『斎藤茂吉から塚本邦雄へ』の序論で、経済のグローバリゼーションの影響とか、若者の教養のお粗末さとか、いろいろご指摘になっています。若手の教養はお粗末ですか(笑い)。

坂井)人によるのでしょうけどね。さすがにドストエフスキーの一冊くらいは読んでおいてほしいと思いますね。自分という存在の悲劇性を歌う時に、とくに若い人たちは近代文学によって相対化する力が弱いですよね。昔の旧制高校の人たちはトルストイもドストエフスキーもみんな読んでから歌っていたわけです。そういう人たちに比べ今の若い人は、自分がどういう歴史の立ち位置にあるのかをあまり意識せずに書いて、しかもツイッターとかSNSで発信する時はそういう世代でかたまってものを言うもんだから、自分たちが相対化できていないということが分かっていないんじゃないかな。そこはすごく心配です。

――理系の教授ですから現在のサイエンスに詳しく、知識も豊富な坂井さんですが、それに加えて、古典文学への教養もたいへん深いように思います。古語の使い方など、そうとう勉強していらっしゃるのでしょうか。とても巧みに使われる文語と、現代の科学の言葉の融合、世界的な知との出会いみたいなところ。時と空間をかける文学ならではの作品に惹かれます。

坂井)古語のやわらかさとか、日本の伝統的な文脈のつくり方みたいなのは、たとえばコンピュータの論文を書く時には使えないことではあるんですけど、もうすこし広い目でみると、自然科学や技術の文脈だけで世の中を作ってはいけないという気分があるのです。それがあるがゆえに、絵画や物語を含めて古典に惹かれる気持ちがすごく強い。だからコンピュータをやればやるほど古語を使いたくなる。簡単にいえばそういうことです。

                         (2020年6月23日にリモート取材)


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