評論(熾2017年3月号掲載)

中年のオッサンの切実な「俺のタンカ」
  ---島田修三を先導役として---

                                               斉藤光悦

 二十二年前、三十二歳の私はこんなことを書いている。
……詩人、なかんずく歌人とは、聖界に住む人々のことである。だから彼らは、部屋の中をパンツ一丁で歩き廻ったりしないし、朝の歯磨きの時に嘔吐を催すような二日酔いになることもない。まして歌人には、尿を放ったり、脱糞したり、色っぽい女を見てエレクトしたり、そんなことは決して有り得ないことなのだ。
 思えばなかなかに窮屈な世界である。けれども、それゆえに美の探求者としての孤高な風貌は、他の人々を惹き付けずにはおかず、お稽古事、ではなく、キレイごとの好きな歌人予備軍を養成してでもいるのだろうか。……
 不穏当だったり過剰だったりする表現が目に付く。若気のいたりと一笑に付してもよいが、実は二十年以上たっても、その考え自体にほとんど変化がないことに今の私自身が驚いている。自分が成長してこなかったのか、それともこの歌壇に対する批評めいた文章が的を射ていたのか。
 この一文は、『離騒放吟集』を上梓したのを機に、前歌集『晴朗悲歌集』を含めてその作者である島田修三についてつづった評論の中の書き出しである。これに続いて私は、「島田修三は、聖界ではなく、俗世にどっぷりと浸かった異色のカブキ歌人である」と書いた。
 この書名もユニークな二歌集にまとめられている歌にはどんなものがあるのか。免疫のない方にはやや刺激的な歌もあるが、いくつか拾ってみよう。

大学の危機とかなんとか悲壮にてチョーチン持ちは内マタに去る
『晴朗悲歌集』
おお、おお上等ぢやないのと言ひかへし机たたけば机は硬い
犬の糞ふんづけてよりわが今朝のしどろもどろの哀愁深まる
美をめぐり罵り合ひたるヘンクツとまた隣り合ひ尿(ゆばり)をはなつ
かたはらに乳房透けつつ眠りゐる女ざかりの猥褻物や
母親にあらがふ詭弁のスルドキをわが聴いてゐる参考までに
それなりに賢明なれば脱糞を了へたるしばし心満ち足る
ローンなくば雄々しき日日に挑まむとウソ放(こ)いてやがる酒のまにまに
『離騒放吟集』
ホツトパンツ破らむばかりの臀ひとつ階駆け上がり忽然と消ゆ
キレイ事ばかり歌へる歌集数冊ななめに読み了へ厠にこもる
抑へがたく性慾すごき季(とき)すでに遠ざかりつつ秀処(ほと)をこそ浄むれ
もっとマジメにやれといふか畜生! マジメに歌へど歌へば傾く

 世の中に出版されるほとんどの歌集には取り扱われることのない語句が次から次と登場する。それは既成の歌への抵抗というよりも、中年のオッサンの心情にただただ忠実に言葉を選んだ結果なのだろうと思う。語句の選択だけでなく、歌いっぷりも、オーソドックスにきれいに上手にまとめたり、とりすましたりするところがあまりなく(全くないわけではない)、小高賢の評によれば、露悪的で、かつ批評的である。それを裏付けるように、『離騒放吟集』のあとがきに島田はこう書いている。すこし長くなるが引用する。
……青年期の残照のすっかり消えた中年のオッサンにありがちな、幻滅・倦怠・憂鬱・悲哀・不安・屈託・抑圧・焦燥・憤悶・欲求不満その他といった生活気分に満ちていた。∧中略∨こうした鬱陶しいものに支配された現実以外にぼくの生活なんてものはあり得ないのであった。∧中略∨現在のぼくには短歌的な約束事や伝習的ルール、伝統的歌学、在るべき短歌の姿といったことは、どうでもいいように思える。ぼくは古代和歌を研究し教えるのを商売としているから、この化け物めいた短詩型の生成や展開に関する歴史的知識、あるいはその機能や守備範囲に関する体系的知識を少しは持っている。持ってはいるけれど、そういう知識を棚上げにしておかないと、中年のオッサンを覆ういま現在の名状しがたい気分や実感はほとんど歌えない。……
 正直な告白であろうと思う。いま読んでも、いつのまにか若い頃の自分にもどって、泣きたいほどに強い共感の念を持つ。さらに島田は晴朗悲歌集について、『ザラツイタ心の救済』というエッセイで「窪田空穂・石川啄木・土屋文明の作品を絶えず読んでいた。群をぬいて優れた三名の近代歌人における、生活と時代と作歌との切実でたくましい回路のありようを、とにかくぼくはおいすがるようにして学ぼうとしていた」と書いている。
 私事ながら、この島田修三論を書いた頃から二年ほど前に私は処女歌集『群青の宙』を上梓したが、その後書にこう書いている。
……この歌集の背景、すなわち二十代半ばから後半にかけてのぼくの実生活は、一人の女性との別れによる感傷に明け暮れた。情に流れた作品が多いのも、「君」「あなた」という語が頻繁に節操なく登場してくるのも、そのためであろう。しかし、それでよい、と思った。そのような歌い方でしか慰藉できない、感傷の情熱というべき高ぶりがあった。……
 歌いたい気分や実感、というより、歌うことによって絞り出したり、えぐり出したりして、読者という仮想の他人に向けて「ほら読んで」と差し出さなければ自分を救済しえぬような生活気分・心情を、従来の歌い方や言葉の選び方では表現できないという認識である。歌集の出来や表現のスタイルに関して彼我の差は歴然たるものがあるとはいえ、私は実生活の気分、実感をなんとしてでも歌い抜きたい、歌いきりたいという、その根本のところの島田の志には僭越ながら共通のものを感じ取ったものだ。
 島田は続く第三歌集『東海憑曲集』で、「抒情とは断じて縁なき激情に週余をのたうつ須可捨焉可(すてつちまをうか)、歌なぞ」とうたっているように、短歌から離れようとしたことがあったのをうかがわせてはいるものの、俗な実生活の気分・実感を、言葉は悪いが執拗にうたい続けてきた。細井剛が、「島田修三の、そのような底知れぬパワー、それは彼が常に『俺は俺である』という意識を、人より強く持っているからである。だから、他がどう受けとろうが、『我が道を行く』式の歌が書けるのである。言葉を換えていえば、実存的意識が強い、ということにほかならない」と言うように、実存的な”俺のタンカ”を書き続けている。
 そのような島田の歩みに逆照射されるようにして私自身の歩みを振り返ると、私は実際に短歌から離れた時期が十年ほどあった。その間、小説を書いていたのだが、私は自分の生きる時代の中で、”実存的に在る”ための文学として小説を選んだのだ。短歌の可能性を極めようと研鑽することもせずに、という離れ方だったから、短歌に見切りをつけたのではなく、むしろ短歌の方から見切りをつけられた形だったといえる。
 では、実際に出来たかどうかははなはだ心許ないが、短歌ではなく小説ならばなにが出来ると考えたのか。
 たとえばあまりにも有名なこんな歌。「瓶にさす藤の花ぶさみじかければ たたみの上にとどかざりけり」(正岡子規)、「葛の花踏みしだかれて色あたらしこの山道を行きし人あり」(釈迢空)。このような歌では、私を囲む時代状況(社会、政治、経済、文化、テクノロジー、サブカル、風俗、会社、家族などなど)に関わりながら生きる私の生の気分・実感を表現することはできないと思ったのだ。これができるのは、短歌ではなく小説だと思ったのだったろう。それだけではなく、短歌を詠み、読む人が私の周りには歌壇を除いてはひとりもいないということに、短歌に希望をもてない理由があった。時代を反映しない旧来の歌は一般人には和歌と呼ばれたりして、たとえば雅楽をやっている人たちと同じ扱い方をされるのだった。同じ時代を生きるもの同士の共感を、たとえば一緒に酒を飲む人、同じ職場で働く人、同じ学校に子を通わせている人、などなど実際に自分の身の回りにいる人たちから得ることの出来ぬこの文芸に、私個人としては可能性を見いだすことができなかった。しかしそれは、短歌全体、歌人全体の問題なのではなく、ひとり私個人の歌との関わり方の浅薄さによるものだったということを、ひしひしと感じ始めている中年真っ只中の今の私なのである。
 その思いをいやというほど感じさせられるのが、島田の第六歌集『蓬歳断想録』である。この歌集によって島田は、同年に牧水賞、二〇一一年に迢空賞を受賞した。大歌人の仲間入りを果たしたわけであるが、彼は生活と時代と作歌との切実でたくましい回路を確立できたのであろうか。本人がどう思っているかもちろん知るよしはないが、確立できたなどと言う人であれば、以下に引く数々の歌のような歌はうたえまい。

おのづから視線のむかふ膝のあたりいたくせつなく毛糸パンツ見ゆ
『蓬歳断想録』
台湾の高雄(ダガヲ)の家に帰るとぞ歳月を遡(のぼ)り帰れよたらちね
たかが豚漢(でぶ)の痩せゆく始末を書きつらね阿呆といふべし読みたる俺も
おいそこの学部長、寝てんぢやねえよとわが言はざれば静かなり会議
八月をソルジェニツィン逝き母が逝き有名無名に死はゆるぎなし
秋のあしたオルメテック嚥み拡げたる地の管めぐらせうつしみ俺は
石畳のあはひに芽吹くあらくさの朝光(あさかげ)に濡れ猛々しかる
タングステン切れむたまゆら電球の明るむあはれも茫々と過去
金さんが国家をせがれに譲るとふ記事読みながらかゆし丹田
案の定「たそがれ助兵衛」なるAVありと妻(さい)より報告を受く
希望といふわくわくするものなき胸に煙草けぶらせものをこそ思へ
だけど俺は、などとつぶやき鉛筆を削りてゐたり削つてゐたやうだ
何かかう悄然となる襤褸店(ぼろだな)にラーメンすすり悄然と出づる
たそがれを見返り坂のはたて見え追はるるごとし鴉群(あぐん)帰りゆく
詩に痩するといふこともなき歳晩の今宵を煮えて濃きブリ大根
祖父(ぢぢ)といふ怪しきものに俺はなり仔犬のごときを懐(くわい)ふかく抱く
溌剌と葉はそりかへり泥まみれの白菜は買はる俺の小銭に

 オッサン度をますます強め、さらには初老へとカウントダウンする私の日常生活の中で、その実相、実感をうたうにはこの歌人のようなうたい方がひとつの道筋となると考えている。現実社会を生き生きと写す固有名詞を使う。笑いを背景に潜ませながら、過剰に刺激的にうたう。口語と古語をたくみに融合する。そしてなにより、いつかうたい終える日が来たときに振り返ってみて、その時代時代に固有の物や者や事と、自分の生活気分・実感との関わりがはっきりとたどれるような歌をうたう。こういう志に支えられた歌をうたう歌人により多く出会いたいものであるし、私自身、そういう歌をうたいたいと思う。島田のあとがきの言葉を借りれば、「『さびしくひろき人の世』」の日々をおぼつかなく生きる自身の姿がまぎれもない」そういう歌である。

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