歌人インタビュー

島田修三さんに聞く

斉藤光悦
2017年「熾」11月号掲載

(斉藤)まずはオーソドックスな質問です。島田さんに影響を与えた歌人、文学者、その代表作などを挙げて下さい。
(島田)私は短歌にホンキで関わり始めた年齢が人より遅いですから、作歌以前の学生時代は小説や文学評論を濫読していました。文芸評論家では小林秀雄や福田恆存や江藤淳が座右にありました。気に入った小説家もたくさんいたはずですが、今は遠い昔のことになりました。時おり読み返すのは小説では阿部昭、エッセイでは開高健くらいでしょうか。新しい作家たちは読んでも、すぐ忘れちゃいます。短歌で影響を受けたといえば、間違いなく『万葉集』。私の歌になんとなくスタイルがあるとすれば、それはたぶん古代の歌の面影ではないかと思います。まあ、その程度には『万葉集』には親しんだわけです。その流れで吉野秀雄の歌には影響を受けました。『寒蝉集』は凄い歌集だと思っています。
(斉藤)作歌以前に小説や文芸評論に傾倒していたというのは、島田さんの作品をみてそうじゃないかと感じていました。島田さんの作品には、詩情に酔うところがありません。必ず冷静な批評家が歌詠みを観察している。また、万葉集に強く影響されたというのも作品を読んでいれば自然に納得させられることです。吉野秀雄からの影響については少々意外でした。難しいと思いますが、『寒蝉集』の中から島田さんのベストワンを選んでいただけますか。
(島田)ベストワンというのは難しいですが、初めて歌集に目を通したときに「病む妻の足頸にぎり昼寝する末の子をみれば死なしめがたし」という、臨終まぎわの細君と子どもを歌ったシンプルな一首に胸を打たれたことを鮮明に覚えています。
(斉藤)この風景(光景)(情景)を、こう表現できたとき、他のだれにもできない自分の短歌が確立したと思ったというようなブレークスルーの瞬間はありましたか。覚えていらっしゃったら、その作品も挙げて説明してください。
(島田)大学の意志決定に関わる大きな会議が毎月ありますが、そのときの歌で、

おいそこの学部長、寝てんぢやねえよとわが言はざれば静かなり会議

という一首があります(『蓬歳断想録』)。これなんかは、とても確立したとはいえないけれど、けっこううまく行ったじゃないか、と思った記憶があります。
(斉藤)その歌は、私の印象にも鮮烈でした。こんなふうに歌っていいんだと。
(島田)そうですよ。私のふだんの会話は「そうじゃねえんだよ」「そうかい、上等だねえ」といったベランメイ調ですから、こっちを生かすほうが自然なんです。
(斉藤)抽象的な質問になってしまいますが、短歌でもっとも大事なことはなんだと考えていますか。生き方、志、技法、日々の取り組み方などどんな観点からでも結構ですのでお話し下さい。
(島田)生活そのものをくだくだと歌う必要はないけれど、歌のモチーフとしては、生きているたたずまい、生きている手応え、手ざわりのようなものが大事だろうと考えております。そういう感触や実感は誰でも日々の生活との関わりの中からおのずから生まれてくるわけです。どんなに些末なことでも、私は自分がこれは面白い、なまなましくリアルだ、と思った情景や場面、心理を、とにかく歌の形にしようと思っています。
(斉藤)なまなましくリアルだ。きれい事ではおさまりきらない感情、心理、たしかにあります。これが歌われていることが島田さんの歌の魅力のひとつですね。ただ、へたくそな歌い手がそれをやると、ただの無茶苦茶になりますので、やっぱり歌の技巧を鍛えなければなりません。
(島田)くずした口語調、俗っぽい平語調を一首に歌いこんだときは、どこかで格調を感じさせる文語調や文語的表現を入れて意識的にバランスを取るようにはしています。ミスマッチではあるけれど、バランスを考える、とでもいうのかな。それも技巧ということであれば、まあ、そうかなとは思います。
(斉藤)古典に関する広く深い知識を包蔵しながら、“自己をさらけだす”ような作歌態度との化学反応、あるいは衝突が、他の誰にもない島田さんの歌の特徴であり、私にはたいへん興味深く感じられます。たとえばこんな歌です。

ローンなくば雄々しき日日に挑まむとウソ放いてやがる酒のまにまに
ホツトパンツ破らむばかりの臀ひとつ階駆け上がり忽然と消ゆ
もっとマジメにやれといふか畜生! マジメに歌へど歌へば傾く

 こういう歌いぶりは、かなり強い戦略意識のもとになされているのでしょうか。戦略というのは言い過ぎかもしれませんが。
(島田)この三首は私の三十代のころのものです。あのころは過剰なエネルギーを自分でももてあましていましたから、「ウソ放いてやがる」だの「ホツトパンツ破らむばかりの臀ひとつ」なんぞというベランメイや悪態まがいの表現が、まず第一にカタルシスのように心地よかったのです。短歌定型はきわめて屈強なものです。素材的には「なんでもあり」という作り方にも耐えられると思っていましたし、今もそう思っています。特に日常の呼吸を感じさせる言い回しや俗な語彙や表現を取り込むと、なんだか生きている確かな手ざわりが一首に添ってくるように感じられる場合があります。この感じが私には大切なものなんです。
(斉藤)職場詠について。とくに中高年男性と職場詠について、どうお考えでしょうか。私などは、職場にどっぷりつかっているのがいまの人生の大半なので、職場詠こそが自分の生きている実感を表現しうるものだと考えていますが、職場詠はどうしても陳腐になりがちです。もっといえば、ただの愚痴に終わることが大半なのですが、島田さんが職場詠に関して心がけていることや、職場詠自体に関して思っていることはありますか。
(島田)歌の素材、題材の範囲は生きていることに関わるすべてですから、職場や仕事はおのずから歌になるはずです。ならないとおかしい。ただし、誰でも年齢や境遇によって職場のとらえ方やその軽重は変わってくる。かつての私は大学という複数の学部を抱える組織の末端に一教員として所属しているだけでしたし、大学教師という自由な職業柄ではあるけれど、組織にからめ捕られるというような意識はなかった。むしろ大学という、いくぶん浮世離れした世界に対する違和感を批評的、揶揄的、あるいは戯画的に歌うことが多かったと思います。これはこれで確かな生の手ざわりや手応えがあったと思います。その手の、過激というか、そこまで言っちゃいますか、といったアブナイ感じの歌が第一歌集『晴朗悲歌集』のあちこちにあるはずです。
 しかし、何の因果か知らないけれど、私は比較的早い時期から大学の運営・経営の側に引きずりこまれましたから、だんだん職場への違和感を他人事のように歌うのが難しくなってきました。人や組織や執行部を傍からからかってる場合じゃなくなったのです。だって、それはブーメランのようなもので、ヘタをすると自分の脳天を直撃しますから。で、どうしたかというと、自分を含めた組織をからかうという歌い方に変わったと思います。要するに、脱力感やトホホ感です。職場詠ということでいえば、私にとって、脱力感やトホホ感がいま一番直接的なリアリティーがありますね。
(斉藤)ライバルだと思っている歌人、注目している歌人を挙げてください。できればその代表歌も挙げてください。
(島田)ライバルが競争相手みたいな対象をいうのだとしたら、そういう歌人はいません。その時その時の発表作品が気になる歌人ということであれば、男性では同世代の山田富士郎さん、藤原龍一郎さん、内藤明さん、やや年上であれば、小池光さんあたりかな。亡くなった小高賢さんも気になる人でした。特に、この歌はというような作品はありません。作歌活動の全体が気になる。女性では誰が気になるってことは、なんとなく恐ろしいから言わないことにします。
(斉藤)どんな歌人の登場を期待しますか。
(島田)文語短歌と口語短歌を高いレベルで止揚するような創造的な腕力と短歌史的縛りからの跳躍力をもった新人でしょうか。もはやこんな時代ですから、身のめぐりに文語や古語の流れを汲んだ表現や語彙がほとんどないわけです。だから、若い人に文語脈で、しかも旧仮名を遣って歌を作れなんてのは無理な話ですよね。だからベースは口語、うんと砕けた口語でもいいと私は思います。そこに文語脈や文語的韻律、語彙を奔放自在に織りこんで行けるような才能を期待します。和歌や短歌の歴史と伝統にかなり通暁していながら、同時にそれを現代詩のレベルで異化してしまえるような才能です。T・S・エリオットは『伝統と個人の才能』で、詩人の個人的な才能とは、厖大な詩史を踏まえて、そこから新たな世界を紡ぎ出すことにある、つまり化学的な触媒のような役割を果たすことにあると言っています。詩人や歌人の独創は歴史や伝統との相対的な関係の中にしかないとエリオットは言っているわけです。私もまったく同じように考えます。
(斉藤)おのれの力量を顧みない高望みなので、笑い話ととっていただいて良いのですが、私は若山牧水賞のような有名な賞を受賞したいと思っています。やはり啄木と牧水は別格です。いま私は五十五歳ですが、今後、どのような精進をすれば、受賞にすこしでも近づくことができるでしょう。“近づく”です。ちなみにこれまで出した歌集は二十五年前の歌集一冊です。これでは、はなから無理でしょうか(笑)。それとも、挽回は可能でしょうか。
(島田)短歌は商業マーケットには乗るのは困難な文芸ですから、売れりゃあ官軍とはならない。確かな外部認証は受賞でもしないと得られない感じは確かにしますね。だから短歌賞を狙うというのは自然なことです。斉藤さんはしばらく間を空けてしまったからハンディはあるでしょうが、これから、自分でも十分な手応えを感じる歌集を立て続けに二冊くらい出してみたらどうですか。その後も、一定のペースで歌集を出していく。竹山広さん、杉崎恒夫さんみたいな遅咲きの歌人もいます。私の先輩の橋本喜典さんも、歌歴は長いけれど、短歌賞を次々に受賞し始めたのは八十歳過ぎてから。歌は人生そのものなんだ、という腰を据えたスパンで考えれば、挽回は十分に可能です。
(斉藤)最後の質問です。島田さんの今の目標というかテーマを教えてください。
(島田)もうじき私も六十七歳になります。この年齢を高齢化社会の中ではまだ若いなどという人もいるけれど、私は十分に歳を取ったと感じています。そう感じている者がまだ現役の仕事に就いているというのは変な話でしょう。だから、まあ、穏やかに現役を引退して、のんきな隠居生活に入るのが当面の目標ということかな。歌もゆるくなるでしょうが、それもまた私の生きる現実なのであれば、良しとしたいと思っています。

                                  (2017年7月26日インタビュー)



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